自分の成功談でなく失敗談を話す

社員の成長のレベルを書いてほしいという意図で
レポートを依頼する
そのレポートにはいっていてほしい項目として
自分をさらけだせているか
という項目を書いてみた


なかなか、面倒なというか難しいことだと
思う
会社、仕事場で自分をさらけださなくてはならないって
どうよ、という意見もあると思う


話し合いの仕方、という場面において
今度の研修の場で、ロールプレイをとりいれてる
そのネタ本になってる、「カウンセリングを語る」by 河合隼雄には
ロールプレイはやってから、振り返る、評価する時間が
大切です。そのとき大事なのは、構えたり
取り繕ったりしないで、そのまま、自分が至らなかったことを
すっと、いえるということが大事だと
解説してる


ロールプレイにおいて、たとえば、登校拒否の高校生が
なぜ、学校にいかないか、しゃべる場面があるとする
そのとき、その理由が母親が、テストの点数にあまりに
きびしいことだということを聞き出す。ただし言ったその子の
思いは、絶対お母さんにはいわないでおいてくれという
ことだ。それを母親にいうべきか、言わないでおいておくか
その対応をやったとき
言う、言わないもある
それから、言うにしてもどうやって本人にそのことを
納得させるか、大変迷うところだ
そしてロールプレイとはいえども、やってる本人は必死にその
考えを言ってみたりしてる。まわりで見てる人のほうが
状況はよくわかる


跡から、評価の場面で、あそこはこんないいかたもできたのでは
というのは、やったほうがいいかもしれないけど
指摘されたほうは、なかなか素直になれないもの
そこを素直に、あーなるほど、そこは気が付かなかったと
認めると、ほんとうにいい、話し合いになる
じゃあ、もっと細かいニュアンスも気にして話してみようかって
なるかもしれない


ところが、悲しいかな、ああ、それは私も気づいてましたとか
なにか取り繕って、素直になれなくて、認めてああ、そうでした
という言葉がでないと、とたんに話し合いはしらけるものだ


だから、「さらけだせる」、自分のことをそのままいえる
ということが大事だ


ここまで書いていて、取り繕って自分のそのままを認めないこと
それとあいまって、あまりに自分を低く言うというのも
いただけない気がする。謙虚なのは大事なのだけど
一定以上、気を使うのがすぎると、イヤミになりそう
まえにブログにも書いたけど、立派なことをやったら
そのまま、いえばいいし、一定とのころ、できるのに
できないふりをするのは、自分で自分を甘やかしているのではないか


話し合いで、教え教えられという関係は
とってもとっても大事でぜひやりたいことなのだけど
しっかりした、信頼関係、建設的に高いところに行こうという
大いなる、健全な積極性が伴っていたい
そうなるとき、必ず効果はでてくる
そうした積極性をだせたら、半ば以上、話し合いは成功してると
言っていいのではないか