自分のたつ位置に気付く

ときどき思うのだ
わが社の社員もいろんなプロジェクトに参加してるが
そのとき、それぞれの立つ位置、役割を明確に自分でうけとめ
その役目を果たしていくということが大事
そしてその役割、立つ位置を思うとき若い人にはまだまだ
寛容さがあるなということ


企業に余裕がなくなったといわれて、ずいぶんたつ
すくなくとも1990年代前半には、いまと比べたら
まだいろんな仕事に余裕があったと思う
いいかえれば、同じ仕事をいまよりもっと人数をかけて
やっていた。課長なり、役職者が担当のひとりひとりを
気にかける余裕があったと思う。思い出すのは
業績不振の企業以外で、リストラなんてなかった


それはそれとして、まだ我々のプロジェクトにおいて
例えば、20代の人にはやや寛容に接してもらえるところが
あると思ってる
しかしながら、くぎをさしておきたいことがある
その寛容に接してもらえることに、甘えることは許されないと
思う
いいえ、若いときです、一度なり失敗することは許されるでしょう
しかしながら、失敗したら、その失敗から必ず学んでいるという
状態でなければ、失敗を許し、指導していく人がかわいそうです


さらには、失敗をしているその状態が、チームにどういう
影響をだしてるのか感じながらやらなくてはいけないでしょう
だから、報告、連絡、相談が大事とつながります
失敗したときというのは、自分のやってることがどうなのか
理解を深めるチャンスだということもあります


わが社で、月例の会議の場において、技術ディスカッションを
すすめてみようということで、何度かやっています
その際、ひとつひとつの行程でどんな留意点があるのか
話し合いをします。仕事のしかた、例えば詳細設計について
その考え方はそうするか、テストファーストという考えに
賛同するかなど、いろいろ自分の経験から話してみて
信頼する先輩はどう考えているか、また自分が教えたことが
ある後輩はどこまで、理解してるかなど、とっても刺激的で
勉強になる、気づける要素がたくさんある場に
なってきています


この場をいかに自分の身になるように利用するかということは
とってもとっても、いまひとりひとりに大事になっています
自分がやった仕事が、プロジェクトで会社で、仲間がどううけとめて
どんな意味、どんな重みなのか、感じるのです
まさに、生きるってどういうことということまで
つながる話です


人間は生きていかなければ、上をめざしつづけなければ
続けていけないのですよ
大変だけど、やりがいに満ちた、面白い世界なのです