美人に会う

日曜日に、三溪園にでかけた
花菖蒲がゆたかに、咲いていた


花菖蒲、原種でいうと、ノハナショウブ
カキツバタ、アヤメもこの類だという
紫が、あざやかだ。この色をみると
和装の女性を連想する。
たぶん、和装ということは、花がひねってあるところから
ひらいていくということと、連想がひろがるからだろう


おそらく20代のころまでって、女性といっしょに
いたりすると、ある種の息苦しさを覚えて、ちょっと
苦手だった。裸婦像をみたりすると、やっぱりじっとは
みてはいられない思いで、もじもじしてしまった


思えば、そんなことはだいぶまえの思い出に近くなり
いま、裸婦像だとか、トルソーなどをみても、ついじっと
みてしまう


女性の美しさということで、ふと頭にうかぶのは
安曇野碌山美術館の「女」だ
ひとりの人への思いを、彫刻に、芸術に昇華させた
その生き方であり、作品にほとばしる、思いがつたわって
くるようだ


そうした美しさはすごく好きだ。ここで今日女性の美しさ
碌山の生き方をちらっと、思って、おそらく男性にとって
女性の美しさは、やっぱり、恋愛感情ときってはきれない
ものがあると、感じる


花菖蒲の美しさ。それを女性の美しさと重ねて、思うのは
たのしい。男と女、おそらく遺伝子の感覚から
ひかれ、ひきあい、ずっと思いが交錯する。そんなことが
あるのだから、容易にそのエネルギーであり、いろいろは
すっきりわかるということは、なかなかないのでしょう


2週間ほどまえ、箱根の湿性花園で、かきつばた、あやめを
ながめてみた。このまえの日曜日は、三溪園での花菖蒲を
見る時間があった。
たくさんの人が、目を楽しませていた
花を愛でる気持ちを、少しずつだけど、もっていたいと
思う。碌山の燃え盛るような、生き方にもあこがれるが
じっくり、じわじわと生きる、そういう熱さも
もっていたいから