弘陵塾は寺子屋
黒板はない。ひとりひとり、自分で決めてその日の学習をする
わからないところ、聞きたいところは、自分で手をあげて先生に
申し出る


こう書いていて、なにかを学ぶというときに必要な要素がたくさん
あったなと思う。
見守られてること。学習内容は自分で決めること。自分で不明なことは
申し出ること。実際社会に出てからも、学習すること、知識であり
ノウハウを身に着けていくことは、大変大切なのだが、ひとりひとりに
聞いたとしたら「私は継続的に学習してます」と答える人の割合って
少ないだろうと感じる


一定の自主性があること。自分で決めて自分のやるべきことをやること。
こう書くと、「あたりまえ」じゃないかと言われるかもしれないが
常に、積極的な姿勢をもって、やるべきことがやれたら、とても
すごいことだと感じる。


人間って、大変高度な頭脳と精神性をもってるものだ。他人は
ごまかせても、自分はごまかせない。自分のやってることに「意味」を
見いだせなければ続かないものだ


見守られてること。上に書いたようなきびしいひとりでの生きる道。
まるっきりひとりというと、やっぱり心細くなるし、寄り道もするし
ことによると、道をまちがえる。相談できる人がいること。そして
自ら説明することで、客観視するくせをつけること。そうできることが
「あるべき姿」を忘れずにすすんでいく、必要条件だと感じる


自分で、疑問点や不明点は声をあげられること。このことも
社会に出てからも、大変重視ポイントだ。さきほどの説明できる
というkとにも重なるのだが、質問できるということは一定以上
理解してることが前提だ。そう、もうひとつ、声をあげるということは
エネルギーを使う行為だ。そのエネルギーをためておかなければ
できないことだ


もうひとつ、見守られてること。そう「わかってくれてる」
という安心感が誰でもほしいところだ。甘えるということと
紙一重になるが、人間は、支えてくれる人がいて、力を発揮できる
ということも事実だろう


わが社の原点のひとつは塾にある
人間は成長できるなら、なにをやって生きてもいいのです
という言葉が、頭をよぎる。「成長」ということの重さを
思う