子どもだったころ

子どもだったころ
不安で、世の中なんてわからないだらけで
全然、自分なんてものの数にはいらないで・・・


子どもって
いろんな経験もないから
残酷だし、直接的だし、ある意味やっかいだ


子どもって、可能性がある
可能性があることに、みんな期待するのだ
日本人のよくある傾向にて、若いことが「価値」という
ような少し偏った感覚は、あんまり好きではない
でも一方で、可能性のある子どもに、未来のことを
明るく思えるような、なんかふるまいはしたいと思う


自分は、ビジネスに生きる経営者なんだから
ビジネスで活躍して、おおいに成長するということについて
夢のある感じで語り、子供たちに伝えていくのは
やっぱり、必要なことだと思ってる


コンピュータシステムの世界って、複雑だし、その仕事をするのに
やっぱり、いろんな経験、ノウハウ、技術が必要だし
いってみれば、やっかいなもののあつまりといっていい
そんななかで、いかに自分のアイデンティティをみつけて
また、育てていけるのか、結構しんどい挑戦を続けなければならない


それはそうなのだけど、「しんどい」とばかりいっていては
次の世代の人が、夢をみるようなことはなくなってしまいますね


わからないことが、なんとなくわかってくる
それは、喜びです
先日わが社の若い人に、先輩に面倒をみてもらって、その恩を
返したいと思ったら、自分が成長して、自分より経験のない人へ
貴重ななにかを伝えていく、そのことでしか恩は返せないのだよ
という話をした


テニスを覚えたてのころ、ほんのゆるいボールにおいての、ミニストローク
ラリーが続かなくて、教えてもらった親しい人に悪くて
あんまり出来がわるい自分を恥じていた。それでも教えてもらってる
その人は、イヤな顔ひとつしないで(もちろん、無報酬、スクールの
コーチではない)ずっとつきあって、プレイしてくれた


なんで、そんなにつきあってもらえるのですか?
そう聞いたら・・・自分もかつて、初心者の頃があって
やっぱりまわりにいた、経験者にお世話になった
その本人には、そのまま恩は返せないんだよ
こうして、たまたま経験の少ない人にあったときに、恩を
返してるんだよ


そんな話がでて、なんて高い心意気だろうと、胸がすっとして
ありがたくて、うれしくて、またテニスが好きになった


人間できれば、子供のころのフレッシュな気持ちを忘れないように
したい。そして気持ちはフレッシュで、やっぱり少し長く生きた
人間として、できればはずかしくない、相手からみて無理や
迷惑のない、そんな心とふるまいをできるような自分で
ありたい
おそらく、そう思っていても、やっぱり少しずつは迷惑は
かけるでしょうけど、少なくとも「気づこう」としていたい
ですよね