エミール・クラウス

東京ステーションギャラリーにエミール・クラウスを見に行く
いま、住んでる鶴見は、東京駅まで30分、新橋までなら25分だ
つれあいと、プライベートででかけるときは、車が多いのだけど
東京駅そのものでの美術展を見るといったときに
ああ、それだったら電車で行こうかなと思った
美術館の出口の数メートルのところに、改札口があるのだから


エミール・クラウスは、ベルギーの画家で、その光の
とらえ方、空間のみせかたがいいと思った
アートをみるのは、だんだんすきになっていて、美術館にいく
楽しみもわかりだした。けれど、あたりまえだけど
どんな絵も楽しめるというわけではない。やっぱり「スター」といっていい
印象派の人たちはいいなとも思う。写実的で目にはいってくる
例えば、モネとかルノアールといった、絵を特段好きということでも
ない人が知ってるような画家がいる。


去年の1月に、大原美術館にでかけた。大原孫三郎から、美術館を設立の
協力をしてほしいと、依頼された、児島虎次郎が、モネであり、何人かの
そのころ活躍していた、ヨーロッパの画家と交流し、いわば
支援をもらっていたのは、そのとき読んでいた。クラウスに師事していたことは
覚えてなかったが、クラウスの絵をみたあとに、虎次郎の絵をみると
その共通点に、うなづく
大原美術館にいったときに、絵葉書をかってきた、ベルギーの女性の和装の姿
まさに、光や色のとらえかたは、クラウスの影響がみてとれるように
見える


児島虎次郎は、おそらくヨーロッパの高い文化にふれて、あこがれ
それをとりいれ、一方で日本の良さを失わないように苦心したのかな
と感じた。すごい葛藤があるように思う
あれだけ、師のクラウスにせまるような、絵がかけていながらその、文化に
はまりきらず、日本を思う。なかなかできないことなのではないか


東洋と西洋の文化を、同じひとりの人間がうけとって、活躍して
いわば、評価を得てるということで、最近みたなかで、思い出すのは
バーナード・リーチだ。ラフカディオ・ハーン小泉八雲)にあこがれ
十代からずっと日本にあこがれたという、リーチ。ところが
このまえ、その日記とかにふれると、日本に来て、アートとかには
いいとおそらく、得るものがあったにちがいないけど
例えば、食事など、日本にいる苦痛も訴えていて、人間くさくてよかった
そんなことからも、おそらくリーチは、イギリス人としての軸を
もちながら、日本、東洋の良さを、自分のなかにいれて
そうした感覚をもちながら、作品を作っていたのだろうと感じた


ぐっと、くだけた話になってしまうのだけど、マンガ、「美味しんぼ」の
なかで、主人公の友人夫婦がいて、イタリアに留学して、その文化の圧力の
高さにまいってしまうというシーンがある。高田博厚はそのエッセイのなかで
フランスのパリの美しさ、素晴らしさをうたって、この良さがわからないなら
それはそれとして、日本に帰ったほうがいいと書いてる


日本人は、どうもヨーロッパとかに、一定以上の、実在以上のあこがれを
もちすぎる傾向があるようだ。そんななかで、アートをする人が
ヨーロッパのそれを自分のなかにとりこんで、かつそれを食って自分の
ものとするのは、かなりエネルギーがいるのだろうと想像する


児島虎次郎、いい絵を描いていた
もう少し見たくなった