自分との対話がうまくいくこと

バランスをとるということは
自分との対話がうまくいくことだと思う
自分との対話がうまくいくから、他人にも
やさしくふるまうことができる
家族との対話にしてもそうだ


出入りがあること
つまり、いろんな意見をとりいれたり、こちらから
発信したりということが、フレキシブルにいいものはいいと
認めて、とりいれ、また相手にもとりいれてもらって
という関係が、基本としてやってほしいし、やっぱり楽だ


ところが、人間って弱いところもあるし、いろんなしがらみに
しばられ、いいものをいいと素直にいえなかったりして
気持ちのやりとりがうまくいかなくなったりする
よりどころとしてるものが、しっかりしていないと苦しい
それは、大事にしてる人間関係が基本だと思う


いつからだったか、もうひとりの自分と対話して
生きるようになった。もうひとりの自分は
冷静だったり、つまらないやつだったりする
けれど、やっぱり頼りになるし、いつも自分をみているやつだ
ときに、冷静にスローリィと、自分がふるまってると
もうひとりの自分がいう、「のり」が必要なんだよ
のっていけるときは、どんどんのっていったらいい
なんて、小生意気なことをいったりもする


前回のこのブログにおいて、料理するってことは
いろんなタイミングをはかるトレーニングになるという
話を書いた。まさにそのとおり。そしてやっぱり進化していたい
から、そのタイミングのとりかたっていうのも
できれば、ひとつの料理の、間合いみたいなことだけ
でなく、いくつかの料理の段取りであり、さらには買いものを含めた
動き方ということかな、いろいろ考えたりする


もうひとつ、バランスをとる方法。書いてみたり、人に
説明してみたりすることかな。先週末の会議で、自分の思考を整理する
方法として、いっしょにいる人を利用するという話がでた
いまやってる課題について、説明する機会をもつのだという
説明するということは、物事を整理しないとできないので
その整理して、説明していく過程で自分のなかのバランスがもどって
すっきり、課題にどう対処するかということが、わかるということが
よくあるのだという


いっしょにいる家族と、そうしたバランスをとれる会話ができる
ってことは、素晴らしい
人間はひとりで、しっかり考える時間があるってことと
やっぱり信頼して、気の置けない人と、いっしょにいてこそ
バランスがとれるってことになるのかなと思う


生き方を、野太く、力強くしていきたい
このまえ、このブログのなかで、成長するってことが、目的に思っても
いいという話を書いたが、それは自分で自分のことを肯定できるからという
ことが大きいと、思ったからだ
自分で自分のやってること、やってきたことを肯定できるということは
ひとつには、もうひとりの自分といい感じで会話ができるという
ことだろう


生き方は、常に、ちょっとずつ、よくしていきたい
これでいいなんてことはない。ずっとずっと、課題を追うのは
大変だけど、やりがいのある、楽しみがずっと続くということだ