真剣な思いをぶつける

生きていて、なにか物足りないという気持ちは
常にある
中学生になって、制服を着て、もう大人だなんて、まわりから
いわれて・・・
ちっとも、なんかわくわくすることなんてなくて
というか、思春期の波にもまれて、いろいろで
まわりの人がくだらなくみえて
そんなふうな、中途半端な気持ちだった


高校にはいって、クラブにはいった。
ひとりひとり、真剣そのものだった
コンサートとなれば、その成功をみんなで
サポートした。for the teamがまさに生きていた


生きるってことは、なかなか難しい
まして、ちょっとかっこよく生きるなんてことは
さらに難しい
どろどろになりながら、生きることが、ある面そのままの
姿だったりするのだけど、やっぱり人間、楽もしたいし
まわりから、立派だといわれたい。そんなふうな慢心が
でると、なかなか難しい


真剣に生きることが必要だけど
どうしたらいいか、よくわからない
アイスブレーク、と声がした
そう、真剣になることも段階がある
また、まわりも巻き込んでやるなら
アイスブレークで、だんだん、真剣度を増すよということを
みせながらやるべきかもしれない


このまえ、このブログに、いっぺんにはなかなか
できないものが多い。ちょっとずつ、ちょっとずつやろうと
書いている。ちょっとずつというのは、安心するいいかただ
人は安心できないと、なかなか続かないものだ


昨日、テレビをみていて、印象に残るシーンがあった
それは、手塚治と石ノ森章太郎の番組で
手塚が、石ノ森の作品を、酷評したことを
自分の嫉妬からで、それをあやまるという話だった


自分の過ちを相手に伝えていくということは
相当覚悟もいるし、エネルギーもいるのだと
思う。そのことをやってのける人はすごいと感じた


それを見ていた秋元康はいう。嫉妬がなくなったら、もう
作品を書けないかもしれないですねと
嫉妬というのは、エネルギーのもとなんだろう


エネルギーのほとばしる作品ということで、いま思い出した
伊藤若冲は80を超えて、おおいなるエネルギーを感じさせる
象とクジラ図を書いてる
ホクサイは100歳を過ぎたら、自分の絵が描けるかなと
つぶやいたという
そんな人を知っていて、たかだか50歳に満たない自分が
なにを、まだまだ幼いことを言って、そのことに
自分でたちどまっているか
しっかりしろ、自分!


すっかり夏がきたので
夏らしく、自分らしく、熱くのりきろう