7月になると思いだす

このブログが7年をすぎ、おそらく7月になると
一度は書く、思い出
20歳で、仲間が浮世にさよならをした


そのことは、やっとだんだん、思い出として語れるように
なりつつある
文集を作った。自分やその当人をとてもかわいがってくれた
先輩が、その仲間の20年の人生が、はたして70年、80年と
生きたという人と単純に比較して、意味が小さいなどとはいえないのでは
という話を書いた


自分がなぞっていたのは、白鳥英美子が歌う、ベトナムのうた
これは、担当教官が書いた文章と、まざる
きみよきみ、なぜ、あたたかな、家庭をふりきり
死地にいそぐのか
あたたかい、おいしい食べ物もある
いっしょにお酒を飲むような仲間であり家族がある
そのいっしょにいたいという思いを持ってる人の
気持ちを、ふりきって、なぜ


肉親にとって、本人が死んだことは、もちろん悲しいことだ
しかしながら、おそらく心のなかで、やりきれない
つらくなる、一番のことは、亡くなったこと自体ではない
こんなに、あたたかで、幸せと思える環境をふりきり
死を選んだこと、その自分たちといっしょにいることより
死を選んだことが、どうしてもわからない
わかりたくない。ここに決定的な断絶があって、それが
つらいのだと


7月のとても暑いなかだった。
梅雨あけしない、梅雨の晴れ間の一日だった
その報を聞いて、泣いた自分がいた
泣けて、泣けて、あんなに泣いたのは
おそらく、ないと思う


幽霊でも会いたいと思った
いいえ、いまでも思ってる
そして、大林信彦の「ふたり」ではないが
ときどき、その子と会話してる、自分がいる
会話するときの仲間は、笑顔でいつもはげましてくれる
そんな弱気になって、いつもの元気な哲也はどこにいったと


肉親を亡くすとかということは、むごいことだが
そのむごい別れを通じて、一日一日を大切にして
力強く生きることが、残された自分にとって、本当に大事だと
感じる、またその誓いをたてる、きっかけとすべきことだと
聞いたことがある


自分が生きてるということは、素晴らしいことで
できれば生きてるうちに、なにかしら人にいいものを感じてもらえるような
なにかをできればいいなと思いながら、生きたい
生きるということは、死の対局にあるのではなくて
死を感じたとき、いかに生きるかが、ちょっとずつ深く思えるような
そんなものかなと、思ったりする


季節はうごく
夏が、梅雨あけの猛暑から
これからなごりの夏にむかっていく
日の出も少しずつ遅くなりつつある
夏の思い出を、思ったら、やっぱり地に足をつけて
どっしりとした、生き方を、また模索しよう