人材育成を思う

どんなふうに、人材を育てるのか
そのことを、思うのに、育てようという人材を信じることだと
答える


人間は、本来的に、自分を見てくれてる人に認められたい
信じてほしいという気持ちがある
そのことを、しっかり受け取って、自分はあなたを信じてますよ
というメッセージを送るのだ


今、現代という時代は、とっても複雑にて、また世知辛く
生きていくのは大変だと思う
たとえば、企業として求められるあり方もかなり、高いところに
あると思う、それに伴いそこで働くひとりひとりについても
高い成果を求めることになる


そして、例えばこの数十年という時間の軸でみたとして
(それ以上は、もっとそうなのかもということはあるが)
人間は、退化してる部分があるのだ


こう書いてしまうと、なんて大変なことだと思う
ひとりひとりが、成果をだすことは、高いレベルで
求められていて、一方で、そのおおもととしての
人材が、(一部は)退化してるということ
どうすれば、いいんだろうと、思ってしまう、ところもある


こう書いていて、いいえ、暗い話をしたいわけではないし
かなり、自信をもって、どうこの状況を打開するかということも
語れると思ってる


いまこんなふうに、大変だからこそ、手作りであり、人と人
face to faceを大事にすることで、他社がなかなかできない
いいチームが作れて、品質を高めるということが、あたりまえに
いい形でできる、存在になっていけると感じる


そうしたことの、本当に基本的な態度として、人を信じることと
答えたい
信じることっていうのは、あるべき姿を知ったうえで、お互い
めざすべきところは、こうだと共有したうえで、信じ続けるということで
常に確認しながら、やることが必要と思う


問題点から、問題をしっかりみつめること
相手の状態をしっかり受け取ること
言葉でのやりとりのあやうさを、いつも気にすること


話はもどるが、「退化してる」ということを話した
ずっと古くから親しくしていただいてる方とは
こんなふうなやりとりがあった
例えば40年、50年まえというのは、とっても日本中貧しかった
ゆえに、人と人、協力しなければ生きていけなかった
いまは笑い話にもならないかもしれないが、おむつを融通するなんて
あたりまえだったのだ。
そうしたなか、世間とつきあうのには、あいさつって大事だから
はじまり、あやまりかた、人にものをお願いするときの態度
というのは、全員経験し、磨かれていったことだろうと


いまはたとえば成人式を迎えた、人でも本気で人にお願いしたり
あやまったりってできない人がたくさんいるのでしょうね
だから、退化してしまうと少なくとも、「見える」


人生は一度きりだ。なにをして生きるかは、ずっと考えるべきこと
私は、やっぱり仲間と手をにぎって、お互いが刺激してお互いお願いとか
あやまったり、がちゃがちゃやりながら、成果を求めてみたい
そうして、生きていきたい