食事を楽しむ

先日、TJK 東京情報サービス産業健康保険組合の保養所を
利用して、実家にいる、父親をはじめ、家族でひとときを
過ごした


食事を楽しむということについて、たまにだけど
こうして、いまは生活を別にしてる誰かと、食事すると
気付くことがある


我が家では、野菜をおいしく食べたいとか、手作りのものは
いいとか、いわずもがなで、共通してる感覚があって、それは
食事をする際は、やっぱり気にしてるもの
だけど、生活がちがえば、やはり気にしてるもの、大事に
してるものは、変わるものだ


食事を作るということについて、「気を養う」というか
やっぱり、食事を楽しめるということを、優先したいなと
思う。一方で、食事を楽しむということには、さほど
気をつかっていないという人もいるようだ


家族でなく、食事をいっしょにするという場合に、こちらが
イニシアティブをとって、たとえば店を選ぶとか
食事のすすめかたを、決めるときは、どうしても、自分が
いいと思ったところを、選ぶことになる
それは大事なことだと、認識していて、いい食事、そして
いい空間があって、話をしたいと思う


社員と、ランチミーティングをもつときは、ファミリーレストラン
使うことが、多い。それは、実は食材であるとか、おいしさであるとか
を優先は必ずしもしていない。広いこと。そしてアルバイトの
店員さんは、ほっといてくれるからだ。いかにおいしいお店だろうと
小さいお店で、はやっていたりすると、そこに、どかっと腰をすえて
話をするのは、気が引ける


社員と相対してるときに、ときどき思い出すことがある
先代とは、ずいぶん、話をした。それこそ、何時間も
話し合いをした。それが自然で楽しかった。


親子ほどにちがう、年齢だった。けれどそれもよかったという
こともあるのかもしれない。昨年、山陰にて窯元をたずねて
バーナード・リーチであり、河井寛次郎が、若い作家を育てようと
いろんな窯元に行き、その指導はいまでも守られてるなんて
話を聞いたときに、やはり親子ほどちがうものって
技術の伝承であるとか、生き方の伝承というときには
一面は、理想的な関係になるのではないかと感じた


食事をおいしいといって、にっこりして、いっしょにとって
胃袋もみたされるなかで、自分がいまこんなこと、感じてると
話して、キャッチボールをして、お互いの感覚を、尊重しあい
また、今後の指針となるべき、大事にすることはなにかを確認する
そうしたことが、「自然」にできることは、たいへん大きな価値だと
思ってる


たかだか、食事、一度のことかもしれない
けれど、少なくとも、食事なしの、ただのお話より、ずっと親近感と
気付きのある、時間にできる可能性をもつ
だったら、大事にしなくては!と
改めて、思うのです