茶器をながめる

昨日、虎の門にある 菊池寛実記念 智美術館にいってきた
現代(20世紀に活躍という意味かな)の作家の茶器を
展示してあった


http://www.musee-tomo.or.jp/exhibition.html



実際のところ、親しい人にうつわが好きになったなどと
話すようになったのだけど、それはごく最近のことだ
うつわを見ていても、楽しめなかったし、敷居が高かった
その自分がうつわを見るのが好きだと人に話すようになったのは
民藝のうつわに出会ったということが大きいと思う
民藝のうつわは、用の美といって、使うことでその良さが
わかるものをというコンセプトがある
そして、料理が好きな自分なら、どんな器を使うのがいいのか
という視点をもって、うつわを見ると楽しめるということに
気が付いたのだ


料理を作って、盛り付けを楽しむということは
なかなか、やってみるといろんなバリエーションもあるし
楽しいことだ。昨日は、ほうれん草のおひたしを、ここのところ
窯元としては相当気に入ってる、島根の森山窯で買い求めた
中くらいの小鉢にいれてみた。森山窯の印象的な青の色と
ほうれん草の、緑の色を楽しめる


日本の器というのは、色はもちろん、形にしても相当な
バリエーションがある。もちろん見た目だけでなくて、使ってみると
わかるその質感であるとか、いろんな意味での使いやすさとかが
別れていて、相当深い世界なのが見えてくる
使う、うつわということでは、少しずつ自分の好みも見えてきて
これまた楽しい


さて、茶器。日本人なら名前は知ってる、千利休から続く茶の道で
使われる。昨日みてみて、思ったのは、民藝の器などを見始めて
うつわそのものへの興味もそれなりに、高くなってるので、一定のところ
見てみての興味は前よりもわいてくる
ところが、民藝のうつわが、普段使いにどうかということを
意識してるのに対して、茶道に使うことを、意識してる茶器は
やっぱり、敷居がたかいところがあると感じた


おそらく、茶器も含めて、かなり有名で、いろいろうつわの話を
するときに、たとえばといって、でてくる名前のひとり、昨日の
作品のなかでも、私はいいなと思った、作家に荒川豊蔵という方が
いる。
美濃焼のかただが、この荒川さん、わざわざ、普段使いのものを
作るための、窯として、水月窯という窯を作ってる。それは
普段使いのものを重視してる姿勢といってもいいでしょうし
普段使いのものは、やっぱり茶器などとは、作る姿勢がちがうのかな
とも思う


この水月窯に昨年の春、たずねてみたら、その場でふらっといったに近いのに
でてきた方は、丁寧に作り方であるとか、仕事場の様子などを説明して
くれた。たたずまいもよく作品も気に入ったので
湯呑み茶碗を求めてみた
使ってみると、そのうつわが、なんとも好ましいものに思えてくる
やっぱり、いいものはいいと思うところである


少し乱暴なみかたかもしれないが、普段使いに使えるうつわは
その良さがあるのだけど、たとえば車の世界でいえば
F1の世界のような、最先端でお金もかける、車の研究の世界があって
普及するための車の世界もひろがるように
茶器を作る世界が、普段使いの器にも、いい影響があるのだと
思ったらいいのだろうか


まだまだ、やっぱりいいものを見ることが足らないのかなと
思う、作品をみた、一日だ