無理なく仕事をすすめるには

プロジェクトが忙しくて、余裕がない。身体もキツイ。そういう報告を
何度もくりかえし、数えきれないくらい、社員であり、BPの技術者のかたから
もらったことがある


自分のことで思い出すと、確かに、にっちもさっちも・・・という経験がある


先代社長が、病気で実務を離れられたとき
そのことにより、実質、会社で起こることの責任、判断は、ほとんどすべて
自分ですすめるようになった
また、その当時としては、大き目の受託開発を自社でやっていて、途中から
スケジュールはくずれ、ゴールがないように見える状態におちいり
いわば、消耗戦状態になっていった。
チャンス(と思えた)もあった。人がいっぺんに3人入社した。けれど
すぐ、やめた。そのドタバタも、すべて自分が動いた
そのうちに、身体が悲鳴をあげた。アトピーがひどくなって、医者から入院しろと
言われた


そんな経験から、「身体をはって仕事」というのは、どこかまちがっているなと
考えるようになった。誤解のないように、それがずっと続くとということに
なるだろうか
あるスポットのあてかたをすると、「自分」はまだいいのだ。自分は
がんばってると思ってる。がんばって身体がおかしくなっても
「仕事がこれだけ忙しく」「責任をこれだけ背負って」いるから
しかたがないなどと思っていた
しかしながら、会社は困るのだ。仕事も困るのだ


「無理」をして、続かないやりかたで仕事をするのは、自分以外には
「害」なのだ。仕事という面からみれば、信頼を保つということから
大きくはずれていく。いいかたを変えると、本当の信頼はいつも余裕の
ある状態を保ってこそ、生まれる


自分を客観的に見なくてはと気が付いたのは、身体をおかしくして
そのとき心配させた、家族の顔である。あれ、俺はおかしいことしてる
と思った。相手を大切にしたいのなら、自分も大切にしないと
できないことだ。


忙しい、それもとっても忙しいってことは、どうすればおさえられるのか?
答えはない。言えるのは自分の状態をまわりに伝えておくこと
「たのめる」先をもってること。チームで仕事すること。人に仕事を
ふること。そして、スケジュール調整をはじめ、交渉するということを
後にしないということでしょう


忙しくしてることを、自分の存在証明にしていはいけない
一定以上つらいことを、責任を背負ってることと向き合うプレッシャーを
まぎらわす、手段に使ってはいけない


プレッシャーの話をしたら、まさに俺もそうだったと話してくれる人がいた。
これだけ仕事してるんだから、あとはまわりがうまくやってくれ
といった都合のいい態度がここに見える
最終責任も自分で負うという覚悟をもたなくてはならない。プレッシャーは
いつも感じていなくてはならないと思う


プレッシャーをわくわく感に変えるのは、計画だろう。いい計画をたてて
それが、ひとつずつ実現していく喜びを感じたい