人がつなげてくれるということ

今年の夏休みの楽しみのひとつとして、高校時代の仲間の海外からの
里帰りをきっかけとして、オフ会をやろうというのがある
その、打ち合わせを、先日やった
オフ会というのは、結構、実はリアルにはそんなに知らない人と
話をすすめるということがあったりする
今回もそう。そういうなか、アートの話から、人とパイプが
できたな、思うことがあって、うれしかった


当該の人は、私がファンの佐藤忠良という彫刻家に直接
指導を受けたことがあるという話から、彫刻の、日本の現状に
ついての話、当社の近く、銀座にある、彫刻専門の画廊の
話など、興味深い話がでた


そうしたなか、本人は、佐藤忠良は、自分にとって神様だと
言ったことが、ああ、この人を信じてもだいじょうぶだと感じる


佐藤の作品、「記録を作った男」「群馬の人」
について、コメントを言う彼は、まさにその人その作品に
ほれこんでるということを、伝えてくれた


3年ほどまえ、世田谷美術館佐藤忠良の回顧展が開かれ
その代表作を、ゆっくり見ることができた
彫刻がすきになり、横浜の伊勢佐木町にある、女性像を
思い、佐藤の感性というのだろうか、作ってるコンセプトが
とてもよくて、佐藤の作品をおいかけるようになった


河井寛治郎の、話したことを、記録として本になってる
炉辺歓語という本がある。そのなかで、あるときから
長い交流を結ぶことになる、柳宗悦との出会いについて
語ってる
柳の部屋にあった、李朝白磁であり、地蔵菩薩をみて
うなったという。それを見た、柳が心が溶けたという


交流は、なにいか接点があって、はじまるということが
ありそう
佐藤忠良が好きな自分は、佐藤を神様とみる、その友人と
接点をもつことができそうだ


歌手のブレッドアンドバターの歌に、人生の楽しみは
友があること、と歌う歌があるのだが
交流の楽しみを思うとき、ある接点をもって、ひろがっていく
ということが、必ずある
そして、そうしたことは、少し自分のなかで
希望として思うキーポイントになりつつある


それは、やっぱり人間生きていれば、出会いが
ほしい。そうしたとき、ただ、出会うだけなのは
深まらない。おそらく山道で同じいただきをめざすような
といったらいいか、接点をもって、出会えたら
きっと、おそらく深いものを目指して、なにか続ける
ことも、見つかりそうだ


佐藤忠良さんの作品を、実ながら、話すなんてことは
きっとまさにそういうことにつながるのではないかと
感じる


おそらく、想像するだけで、楽しそう
そういうことは、たくさんできそう