覚園寺

鎌倉のお寺、気に入ってる瑞泉寺だとか、妙本寺は、おそらく
20回やそこいらは、行ってるように思う。表題に書いた
覚園寺は、おそらく先日が2回目と記憶する


中学生のころ、先代社長ご夫婦と、出会ってまもなく
その通った塾のみんなで、鎌倉を歩こうという、塾の遠足が
あった。
ルートは、鎌倉駅覚園寺瑞泉寺由比ヶ浜、大仏
大仏ハイキングコース、建長寺だったように思う


朝、10時くらいから、夕方5時くらいまでだろう、歩いた
結構つかれた。
その最初に行ったお寺、覚園寺に先日行ってみた
北条氏ゆかりの寺で、源実朝が自分の甥にあたる公暁に殺される
事件のとき、公暁北条義時と思って、別の人をあわせて殺すのだが
その、義時の危機を、この覚園寺十二神将の化身の犬が
救うという伝説が残ってるという


北条義時がお礼参りすると、犬の伐折羅大将の像は汗を
かかれていたとか?
その北条義時のたてた、薬師堂がもとになり、いまにつながるという
本尊の薬師如来は、運慶の作という記述が残ってる文献があるが
立証されていないようで、「ちょうゆ」という方が、時代がくだった
14世紀か、修復したのはわかってるという


鎌倉の寺は、谷戸、やつとよぶのだと思う、谷の奥まったところにある
お坊さんの説明のなかに、覚園寺の隣のお寺はどこか知ってますかという
質問があった。天園ハイキングコースを何度か歩いたことのある
私は、見当がついたので、建長寺ですね、とつぶやいた
ちょうど、建長寺の裏山にあたるところは、ハイキングコースにつながっていて、
この二階堂にある、覚園寺と以外に近いということを知っていた


本尊の薬師如来様は、薬師如来にしては、めずらしく、両手をおへそのしたで
あわせる、その両手の間に薬ツボをもつという、他になかなかないいんを
ふんでる。川端康成が慕ったという、阿弥陀如来様もあった。この阿弥陀如来
どこかの、廃寺になった寺のものを、安置してるらしい


ずいぶんまえ、実家にあった、鎌倉の解説のある本に、覚園寺ほど
そのときに近い、彫刻が残る寺は、鎌倉にないという記述があった
確か、永井路子の文章だったと思う。おそらくであるけど
仏像の類はたくさん作られたのだと思う。この覚園寺はまれに
残ってるが、話を聞くと、何度も火災にあってる。
火災ほかの混乱、また庇護する権力者がいたかどうかで、残るか
どうかが決まるのだろう。覚園寺の場合は、北条氏が衰えたあと
足利氏が、援助したようだ


御坊様の説明がすすんで、やぐらをみて、やぐらに見学者は
みんなろうそくをたてて、おがむというひとときがあった
そのやぐらをでてきて、ぽっかり口があいたようなその入り口
普通は、外と中でまるっきり明るさがちがうので、なにも見えないが
おそらくそうした、効果を狙っての事と思うが、ここ覚園寺
やぐらは外からながめると、いまともした、ろうそくのひかりが
ぽっかりあいた、暗闇の中にうかびあがる。その姿は
なにも心身深くない、自分もああ、少しおがんでいたいなと思わせる
しみじみとした、気持ちにさせるなにかがある
罪深いことをした人も、これで許されましたよと、お坊様は声を
かける


鎌倉の鎌倉らしい、お寺を訪ねて、来てよかったと、このときは
ひとりだけど、ぜひかみさんもつれて、もう一度お参りしようと
思った。心のなかの、なにかもやもやとしたもんがすっと
澄んでいくような感覚があった


寺はいい。その寺のもつ、空気はなにかしら
自分の生きる力につながっていくように思う
覚園寺、お寺のもつ、いい静寂を感じさせてくれるところでした