褒めて育てる

社員を育てるということを、ずっとやってきました
そのなかで、中心の気持ちは、褒めて育てるということ
になります


まず、実感として、なにか「しかる」であるとか
「厳しいことをさせる」ということがなじまないなと
感じたということがありそうです


会社をやる以上、本人が望まなくてもある一定のことは
やってもらわなければ、会社がなりたちません。それは
そうなのですが、「やらされてる感」がいっぱいで
やってもらっても、お互いがよくありませんね


ゆえに、自らやってもらうように、なにか
考えるということになるのですが、そうなると
褒めて、やってもらうということになると
思います


人を本気にさせるのは、指示する人の本気だということが
ある。これもずっと思ってきたことです
テニスのレッスンに行って、ボレーでもストロークでも
コーチが気づいて、あるポイントについて、指導がはいる
たとえば、バックハンドボレー、高い位置でするのは右利きで
あれば、ボールが右に行きやすいという傾向がある。それを
知ったうえで、右に行かないような練習をするとか
そういうことに、熱心に気持ちをこめて、指導がはいる
コーチの真剣さがこちらにも、伝わってくる


大好きな、「エースをねらえ」では、コーチの思いは
そのまま、選手の思いにつながっていく感じがする


その褒めて育てるという思いが、最近ゆらいでいた
それは、褒めて育てるを中心としていて、はたして、人は育つのか
ということが、自分のなかで、疑問符として頭をめぐりだした
からだ。「しかる」ということで、本人にときに「気づいてもらう」
ことが、どうしても必要なのではないか


こういうことは、おそらく、不正解ということはなくて
いい感じで、「しかる」「気づいてもらう」ということが
できれば、本当にそれは貴重なことで、本人にとっても
大事なことになるので、いいとは思う


ところが、多くの場合、しかるという行為は、まずなかなか
本人の胸の奥にまで響かない。もちろんこちらのやり方の、拙さという
ことはやっぱりある。ただ、思うにおそらく、ある程度うまくそのことを
したとしても、なかなか、いい感じで伝わるということが
難しいなと感じています


おそらく、すごくコミュニケーションがとれた状態で
語り合うことができること。お互いを尊敬し、お互いを信頼しあった
状態でいれるなら、可能かなと思うことがあります
うーん、しかしながらそれは本当に稀有なことかなとも
思う。けど、あきらめたくはないけど


それで、思うにその稀有な状態は、あるときは目指すけど
そのことばかりは、まっていられませんよね
だから
まずは、やっぱり褒めて、なにかしら、自分から動いて
もらって、前向きな気持ちからなにかに気づくという
感じで、くりかえすことになろうかと思います


コミュニケーションをまず、深めること
これは何度いっても言い切れない、大事なことですが
その、ひろがりは、褒めることから
ということを改めて、基本の方針として、確認することに
します