権力者

NHK大河ドラマ軍師官兵衛が面白い
天下をとって以降の豊臣秀吉が、いかに、権力者としての
愚かさをさらけだすか、ということが、結構強調されて
描かれてる


その権力者をささえる立場で、黒田官兵衛加藤清正福島正則などが
描かれていて、官僚としての才覚をもって、石田三成は今回は敵役
といった、キャラクターになってる


2年ほどまえに、直木賞をとった、安倍龍太郎の「等伯」という小説に
おいて、作者は豊臣政権に、近江出身に多い、茶々をお姫様として盛り立てたい
という一派と、そうでない、もとの子飼いの、加藤清正福島正則といった
武断派といっていい、武将たちがいるという描き方をしてる
今回の大河ドラマでは、石田三成が、ある意味一身に、その役回りを
してるように見える


権力者といえば、ある意味自分もそうだから、うっかりしたことを
言うと、言葉が自分にかえってきそうだ。でもここでは
言ってみたい
権力者は、なぜか、おそらく権力を持ち続けることに、執着することから
目が曇るらしい。戦の申し子といわれた、豊臣秀吉が、なぜ、朝鮮出兵という
暴挙(と言われてるが)を強行するのか。権力者として、判断する力を
なくしていたからか?
ドラマとして、キャラクターを作る意味で、おろかしい行動を書くというのは
ありなのかもしれないが、ちょっと安易に思える


だいぶ前の、高校時代の授業だったと思うが、韓国、朝鮮の歴史書には
豊臣秀吉は、悪人、徳川家康は友人という書き方がされてるという
そうなのだろうか?


さきほど、等伯にふれたが、つい1週間ほどまえ、やはりNHKで、等伯
ドキュメントをやっていて、秀吉が天下をとった、時代だからこそ
等伯のような、天才が生まれる時代だったという解説をする
人がいた。確かに、大河ドラマのなかでもでてくる、いまの
佐賀県名護屋城大阪城にもまして、豪華が城だったという
この城において、一部分の絵画を、等伯が請け負ったという


こうした、チャンスを生かしていくというのも
芸術家が育っていくということには、必要なのかもしれない
まえに、このブログでもふれた、伊豆にある、願成就寺の釈迦如来
運慶の作だという。京都でなくこれからの時代をになう、武士の街
関東にきて、大きな仕事をしていくことで、自分を高めていく


そういう側面からすると、秀吉がいろんなことを、したことは
少なくとも芸術という分野では、大きなあしあととして
残ってるといえる。おおいなる、時代だったとみていいかもしれない
そして、芸術が花開いたということは、やっぱりそれだけの
内容の、時代だったとみることもできると思う


ときどき、日本のよさって、なんだろうと考える
そうしたとき、たとえば、茶道だったり、書だったり
文学だったり、浮かんでくるのだが、おそらく安土桃山時代という
ことをぬきにして、どれも語れないだろう


権力者は、ときに、残虐で、暴力的なこともあり
困ったもの。しかしながら、やっぱり権力者がいたから
守られ、育つものということもある
安土桃山へのあこがれは、続きそうだ