信長の手紙

永青文庫にて、「信長からの手紙」という展示を見る


室町、安土桃山、江戸、そしていままでと、脈々と続く
細川家のコレクションが見れる、永青文庫を、目白に
訪ねる。都内とは思えない、立派な木々があり、静かな
高台にありました。


信長は、秀吉、家康と続く天下統一の基礎を築いたと
教科書でならったでしょう。いろんな時代劇に
個性ある、カリスマ的ヒーローとして
登場します


例えば、信長は、のちに15代足利将軍となる足利義昭
上洛し、一時期使えておきながら、「追放」したという
歴史での記述があります。ここのところ、たとえば
時代劇だと、力も持たない、また信じるに足らない義昭に
ついて、実力者の信長が、追放していく。まさにイニシアティブを
とってるのは、信長で、「おバカな」将軍の義昭は、してやられた!
というような、脚色をしてあることが多いですね
去年の、「軍師官兵衛」でもおおよそはそうでした


ところが、ナマの手紙から読み取れることは、ちょっと
ニュアンスが変わってきます
この義昭との、和睦というか、今後のことでの交渉では
信長は、自分の実子を人質にだすという条件をだして
関係をつなぎとめようとまで、しているのが、浮かび上がります


このひとつの、事例ほか、信長は、実力者、成功者として
描かれることが多いので、いろんなことが、自信にみちた
のちの、カリスマ信長を作ったというエピソードに
されがちですが、それは、後世の人が、フィルターをとおして
みてるからということがずいぶんありそうです


その場、そのときは、生きるか死ぬかでしょう
桶狭間の戦いなんてもちろん、そうだし
いろんな戦い、かけひきにおいて、九死に一生ということを
くりかえして、力をつけていく
もがき苦しみながら、生き抜いていったその姿が少し
この手紙たちから、うかびあがる


本能寺の変の直前でも、明智光秀へのいろんな意味で、信用
重きをおいた、活用は手紙からもわかる


前に読んだ、永井路子の手記によると
織田信長の、後半の組織構成は、言ってみれば
新興の育ちざかりの会社の、伸びていく姿と受け取った
ほうがいいという、記述があり
信長は、オーナー社長かもしれないが、明智光秀
いわば、副社長といっていい、実力者だという
その信長と、光秀、ときどき時代劇では「怨恨説」と
みれるような、「確執」があって、本能寺につながった
という見方をするが、そんな「チャチな」人間関係じゃない
はずだとみる


手紙では、細川藤孝、忠興を、細やかな心遣いで
ときに、戦いで成果をあげたこと、そして、相手が
衣装やら、珍味やらを送った返礼を、手紙で送っている
もしかしたら、こうした気遣いの人という面こそ
信長のひとつの、人材活用の重要な要素といっても
いいかもしれない


歴史において、そのときリアルタイムの本当の心の動きは
想像するしかなくて、もちろんわからないことが多い
でも、たとえば、リーダーとして、判断すること
人材活用の、また人の心の機微をつかむ、という意味で
そのとき、どんなことを考え、行動し、物事と相対したのか
そんなことは、とても、楽しいし勉強になる


信長の手紙、ちょっと「ナマ」の信長に近づけた気がしました