今日ウォーキングをしてると、庭先に梅が咲いてるのを
見かけます。2月にはいり、梅が咲いてるのは、知識として
知ってますが、北風がいよいよ体感温度をさげて、冬本番と
思わせる気温を感じるなか、季節がすすんでるのを、実感するのは
うれしいですね


横浜で、梅の名所といえば、三溪園です
何度か行ってます。池のまわりを、梅が
埋め尽くすように、咲きます
梅は寒いうちだから、価値があるといった
人がいます。もちろん、桜の花見でわいわいと
やるのも、やるほうにはいれれば、楽しいですが
梅の季節だと、少なくとも戸外でそのまま
お酒をすわりこんで飲むというのには
寒すぎますね。だから、静かに花を愛でる
ことができるということも、いえます


三溪園は、その建物や庭の素晴らしさも、いいですし
作ったかたが、おなかの太いかたで、自分たちだけでなく
市民にも開放したというところも、とてもいいです
さらには、アートに理解、関心があって、いわばパトロン
しても活躍して、多くの才能が集まったというのにも
あこがれます


五島美術館の、五島さん、根津美術館の根津さんと
アートを大事にして、そうした支援をした人は
たいてい、茶道をたしなみ、庭や建物にも自分の思いを
もって、造形したということがあるようです
すごいですね。ほんとにあこがれます


そんなすごい、いってみれば、日本の名士の人の
まねって、できないですが、せめて、その人の気持ち
つまり、アートを愛して、自然の美しさを愛でたそんな
ところは、ちょっとだけ、まねてみたいと思います


今朝、ウォーキングしていると、時間があったのか
墨絵の世界のような、夜明け前の東の空を
グラデーションに会うことができました
ほんの10分もすれば、見た景色はどんどん
かわってしまう、微妙な色彩の世界


画家は、自然の美しさを、凡人にも気づくように
表現すること、そんなことで、その存在意義を示す
といった解説を、美術館でみたことがあります
今日見た、グラデーションを心ある画家が描いたら
もっと、その美しさに、目を開かれるのでしょうか?


このまえ読んだ本に、あった内容が、頭からはなれません
ある視覚に障害があって、視力がなかった方が、40歳すぎになって
医学の進歩もあって?視力をとりもどすというエピソードです
そのかたは、視力はなかったのですが、点字の本をよみ
感覚で、物事をしっています。つまりさわって、これは
犬だとか猫だとか、わかってる。ところが
目がせっかく見えるのに、それがぜんぜん、目にはいってこない
という現象がおこるというのです


この文章を読んで、むむむ、とすぐには想像できなかったのですが
犬を感覚ではわかっていても、目でみたものとくっつけることが
できないんだというんですね
ものは目でみてるのではなくて、脳でみるんですね
目は、光をとりいれる機関ではあるけど、認知するわけでは
ないんですね
人がみるものというのは、あかちゃんのときからの積み上げがあって
認識するのものなんです。そう書かれていました


こういわれると、ああ、と思い当たることがでてくるんです
アートの世界にふれるようになって、しばらくしばらく、自分のなかに
蓄積があって、それが素晴らしいと感じれるようになった
ということも、そうです
自然の美しさも、そうかもしれないです


梅を愛でます
そのつぼみから、一心に寒いときに、はなひらいていく、
その開きかけの花の、かわいさ
これから、あたたかくなっていき、なにかがはじまるぞという
期待をこめて


いい一日、いい季節を、過ごしたいですね