人間の成長

たとえば、楽器
尺八というのは、実は一度もさわったことがないのだけど
音がでないということがあると聞きます
なんども、なんどもやってるうちに音がでる
くびふり、何か月ということもいうのだそうです
つまり、首をふって、音がでない状態が続く


楽器をずっと続けてるという人には、親近感と
いいなという感覚をもちます
なぜか、それは楽器を続けるということ
なにかしら、続けてることにそこに、進歩があるという
ことがあって、続いてると感じるからです
楽器を、いじってるとわかりますが
一定のところ、なにか楽しくなり、つまり
うまくできるようになるということがあるのですが
それから、カベを超えるのって大変なんです


そうしたことが繰り返されて、何年も、いいえ10年をこえて
ずっとずっと、続けるってことは、そのかべを
何回も越えてるんだという感じがして
成長をじっとまつ姿勢だとか、そういうことが想像されて
うれしくなります


人間の成長って、ほんとうのほんとうは、一生かけて
おいかけていくものなんだろうと思います
私もやっとそのことを、おぼろげながら、感じ始めました
じゃあ、一生かける成長って、なんだ?
人と人との関係を考えるとき、相手の気持ち、思いを
うけとめられるだけの、自分になるということは
おそらく、一生かけて、成長していくということがあって
なりたつ・・・
くらいですが・・・


わが社は、若い社員があつまりだして
まさに、若い人が成長するのに、大事なことを、みんなでして
成長してるということを、見逃さず、しっかりうけとって
いい方向にいきそうか、確認して、ときには、きびしいことも
毅然といえる、そんな場になっていくことを
強く望みます


そのとき、さて、見守る、成長しようという人を、誤った方向に
いかないように、観察して、ときに相手も受け入れて
なにか指示しようなんて、思ってる自分自身の器って
足りてるのか?
と、こういう反省がいつも、必要なんじゃないか?


もちろんだよ、と声が自分のなかでする一方
はたして、いまやってる、自分のそのこと自体、偏ってないか?
自分の思い込みのみで、開いた状態じゃないんじゃないかと
少し、おやおやと自信がなくなる自分と、併存しているのを
感じます


成長は、ときにいままでしてきたことを、棚卸して
まさに、ありゃ、だいじょうぶかと確認するときと
どんどん、信じたことを、わきめもふらず、すすんでいくときと
くりかえすのかなとも思います


社長になったとき、ずいぶん、自分の気持ちが
自分で自分に「だいじょうぶか」と叫んでいたのを
思い出します
いいえ、過去形でなく
いまも、だいじょうぶか?は続いています
一定のところ、うん、だいじょうぶ、やっていくぞ
と思えるようになったのはなぜか?
それは、おそらくは、自分が社長でいることを、自分のなかで
肯定する部分がふえたから、なのでしょうね


人間が成長するということは、いってみれば
それまでのからをひとつやぶり、ちがう自分になっていく
ということが、必要なことがあります
こわいですね
でも、わくわくしませんか?