ゾーンにはいる

プロ・テニスの、伊達公子が、解説していて
ゾーンにはいるという言い方をしたことを
よく覚えています


たとえば、シャラポアが、17歳でウィンブルドンで優勝したとき
彼女はゾーンにはいっていたといっていいかもしれません
錦織圭も昨年の全米オープンで準優勝したときの
いくつかの試合では、まさにゾーンにはいっていたという
ことが言えそうです


長嶋茂雄が現役時代、記憶に残る、ここで打ってほしいというときに
ヒットを打ったということは、観衆が望むことという大舞台に
自分をいれこんで、いった、ここでもいわば、ゾーンに
はいることができたから、タイムリーヒットにつながったと
いえるのかもしれないです


今年の元旦にみた、草間彌生さんと、アダチ木版とのコラボという
番組で、アダチ木版の彫師は、あるときから、草間彌生の感じていた
なにかを、疑似体験するような気持ちになって、あの水玉模様を
掘り続けた・・・というシーンがありました。


直木賞作家の、安倍龍太郎氏が、その作品「等伯」で
ある瞬間、自分に等伯がのりうつり、安倍が等伯の人生を描いてるはずが
のりうつった、等伯自身が、いまの世の中に自分の存在を知らしめるために
描いてるという、不思議な感覚になったということを
直木賞受賞の喜びの会見の記事で、書いてます


このブログでも書いた、ペレジヴァーニエすること
感じる心を磨く事、とっても大事です
そして、人間がひとつ殻をやぶり、自己実現していくには
こうした、ゾーンにはいるということが、有効のように
思えてきます


他の事を、考えない。いまやるべきこと、自分の進むこの仕事、
ということを、集中してやれるとき、ゾーンにはいった
といっていい瞬間があると思います
スポーツは、まさにメンタルが非情に大事という
話がでます


くりかえし、頭のなかで、思い出すこと
スポーツ選手、たとえばオリンピックで活躍できるような
そんなトップ選手。そうした人は、ものすごい素質があり
だから、できた、という話になりがちなのですが、身体的な
素質という意味でいえば、似てる人材ということはその
何十倍も、何百倍かもしれません、いるのだという話が
でます
そうしたなかで、メンタルな強さ、意思、自分の心のありかたを
自分で強くできるような、いいかえれば、ずっこけても
苦しくても、かべにぶつかっても、自分で自分を鼓舞して
立て直せる、そうした心のあり方をもてる人が
そうしたなかから、本当の実力者として、頭角をあらわすのだ
という話。


高校生のころ聞いたのは、王選手、長嶋選手はまさに
そうだよという話を聞きました
もっと、若い世代でいえば、イチローもそうでしょう
努力することにおいて、天才なんですよ


ゾーンにはいるということは
生きる、イキイキと生きるということから
はじまると思いたい


昨日見た、テレビ番組で
紛争地のジャーナリストが、いま危険に
さらされてる、という解説を聞きながら
そうまでして、自分が感じたことを、人に伝えたい
伝えずには、いられない、という思いをもって
生きて、写真をとり、それを訴えたいという人たちの
存在を、見て。やはり、こうした人も、生きるって
ことは、表現なんだなと感じます


ジャーナリストは、生きるということが
自分の感じたことを伝えていくということ
なんだと、そのことに意味、生きがいを感じた人たちなんだと
思ったシーンでした


自分は、どう生きるのか
生きるってことに、意味を感じ、自分がやりたい
ということに、集中できる
それは、生き方といっていい、ことなんだと感じます