人を育てるということ2

大学の授業で、小学校に出向いて、その実際の授業を
分析させてもらうという機会がありました


そのとき、レポートしたことが
「見る」ということ
物理的に見ること自体の話
その子供の様子、状態をみるという話


物理的に見るという話については、まさに
授業中の先生の視線を追うということができます
ビデオにとって、みたのですね


子どもの様子、状態をみるという話
ここが、観察力ということと、くっついてくるのですが
ビデオというものを使って、ああでもない、こうでもないと
みていると、その映った子どもの表情からうかびあがることって
あります
おそらく、毎日注意深くみていれば、もっと見えてくると
思います


高校時代の先生が、授業でどうだったか、その授業で会った生徒に
ついて、終わった後にどういう印象なのか、ひとりひとり
思い浮かべてみるといった、先生がいます
先生って、本来はそういう存在でいてほしいという
希望があります


そして、ただ、見るのでなく、リードしていくという
話もあると思うのですが、やはり指導していくのなら
その人の心がひらいているということが大事と
話題になったのを、思い出します


いいえ、指導するという立場でなくても
人と人が接するなら、お互いの気持ちがひらいてる
状態がすばらしい、望ましい


そうなんです、その逆、開いてない状態ってそこらじゅうで
見聞きしますね
心を閉ざしてしまってる、聞こうとしない、見ようとしない
話そうとしない。なぜか?それはいろいろ
なのでしょうね


人と人が接して、できれば協力関係となって、刺激しあい
切磋琢磨して、生きていくというのが素晴らしい
そのためには、出会うそのときに、いろんな意味で
ひらいてることが大事ですね


日本人は95%以上単一民族で、そうした「わかりあう」
「立場をおもんばかる」といったことについては
うまいというか、すごいという感じがありますね
ところが、そうした日本人のすごさって、もう過去のもの
なのかって、思うことがふえたのです


そこで、と思います
日本人のもっていた、よさ、素晴らしさというのを、もう一度
心に刻もう
そこから、なにが大事なことなのかということを、日々自問自答
することを、認識のはじまりにできないだろうか?


人を育てる
人といっしょに育つということ
ずっと考えていきたい