人を育てるということ

思い出すと、おそらくはっきり、高校生くらいから
人を育てたりということに、興味があり、ずっとそういうことを
していきたいなと思ってきたと、感じます


最初はクラブでした
高校時代は、ギター、軽音楽部でした
自分たちで、企画運営するコンサート、やることは
いっぱいあります。たった一年ですが後輩が
はいってくると、そのノウハウとか、ギターそのものとか
教えなくては、コンサートはできない


実際のところ、コンサートの企画だとか、いろんな準備だとかは
なんか、そういうのが好きで、人よりよく働いたかも
しれないけど、音楽は?楽器は?というと、後輩のほうが
はるかに、いい素養をもっていて、実は教えてるつもりが
あんまり役にたってなかったかもしれないですが・・・


大学のときは、同じ舞台ですが、ドラマに
なりました。大学のときの、宝物として、お互いがちゃがちゃ
ものを言い合うことをしますから、うっかり、拙いことをいったり
すると、それは変じゃないかなんて、言葉がとびます
そうだから、なんかよかったというか、勉強になった気もします


たとえば、演出のありかた。ひとつの作品を作っていくのには
最終的には、ひとりの人の、方針でベクトルをあわせることが
どうしても必要です。いわば、演出はだれにやってらうと決めたら
そのドラマが進行する期間は、その人の方針で演出は必ずするし
意見はいってもいいけど、最終的には従うということが
どうしても、必要です。そうでなければ、リハーサルも
本番も、スムーズにすすみません


大学のときは、そうした、アンサンブルで楽しむ、楽しみ方というのも
ありましたけど、人と人が協力するありかた、組織の在り方
みたいなところに、右往左往しながら、考えがいきました


そして、20代にはいった、会社では仕事をするということは
その場所の責任者、部長なりの指示は「絶対」になるということを
みたということがあります
部長の仕事の指示はもちろん、遊び方も社員は右へならえで、そうするのに
びっくりもしました


このところ、自分が責任者で、仕事をしたりして
人を育てるということを、思う時、やはり本人の本来もってる
よさをだすということに、気持ちが向きます


そして、そのためには、観察力であり、コミュニケーションをとる
その力がもっと、ほしいと思うのです
人間は、本来、自己実現したい。自分の能力を発揮して成果を
だしたいと思ってるものだと、信じています
ところが、どうもそうしたエネルギーは、どこかに封じ込めて
言われたことを素直にやります、そうした顔して仕事してる
人が多いように、見えます


いまは、変化のはげしい、とっても、不思議で、不確実な時代と
いっていいと思います。だからチャンスもあるのですが
そうしたとき、まさに自分と向き合い、社会と向き合い
本質をとらえたうえで、変化を恐れずに、仕事で成果だせる
そんな人材がほんとうに求められると思っています


だから、自己実現です
だから、人を育てるって、すごいことです