虹をわたった人が結んでくれる

社員の誕生日に、本を渡すように
なって、5年くらいたちました
昨年ひとりの社員が、旅立ちました


このごろ、思うのは、虹をわたっていった人が
つなげてくれる、縁というのがあるんだなということです
灰谷健次郎の、「天の瞳」では、主人公のおじいさんが
人間の記憶という能力は、つまらんことを、覚えてるために
あるんじゃない。自分が関わった、大切な人からうけついだものを
自分の人生に活かす、いいかえれば、ある人を、肉体はほろんで
しまっても、その生き方、知恵を生かし続けるために
あるという話がでてきます


先代社長がなくなって、3年ほどたって、先代社長の残してくれた
言葉、思いを、いくつかは自分の生き方に活かしたいと
思って、ときどき思い出します
先代社長を通じて、知り合い、いまつながってる人とは
共通の人生のテーマをおいかけられる、同志というか仲間
というか、そんな気持ちさえしてきます


昨年、虹をわたっていった人の誕生日がきたので
ご家族に、絵本を送ってみました
すぐ、お礼と感想を書いた手紙がきて、うれしくなりました
おそらく、似てる思いを、共有できたと思ってます
それは、お互い大切な人を亡くした、という共通の思い
そしてその人は虹をわたってしまって、現実の世界では
話をしたりはできないけど、つながってるという感覚が
あるということ


いってみれば、虹のかなたから、なにか魔法を送ってくれて
その家族のかたと、私の思いを結び付けてくれたような


人とつながったという感覚は、なにかを共有できてる
という思いからということが、ありますね
ある人を通じて、いわば疑似家族のような
親しみを共有できてる、そんな感じ
身体があたたかくなるような、気分になります


もちろん、現実の世界だけの話でも
似てる話はありえますね。誰かがうまく人と人を
つなげてくれる、そんな貴重なひととき
自分もできれば、つとめて、そうした人と人を
くっつけるような、仕事がしたいと思ったりします


大事なのは、人と人の縁というのは、素晴らしいし
人と人が協力できる、そんなアンサンブルのすごさとか
よさというのを、伝えていこうという、気持ちを持ち続ける
ということにもなるのかもしれないです


ひとりの人が虹をわたっていく
それは、もちろん家族であり、近しい人には、なんてむごい
悲しい出来事、という事実があります
そして、そうしたことを、受け止め、さらに生きていこうと
前向きに生きる人へ、ごほうびとして
同じ思いをいだいた人と、交流できる、つながれるという
ことがあるんでしょうか?
いいえ、あると思います


だから、素晴らしい人だったとなつかしむだけでなく
その人の生き方を、学び、その人といっしょに過ごせたことが
自分の宝物になるように、生きていきましょう
きっと、思いがけない、ごほうびにも、また出会えそうです