先日テレビにて
徳川家康の、三方が原の戦いの敗北を
とりあげている
よく知られているところでは、3倍もの武田軍に対して
戦いをいどみ、大敗ということだった
ここで、テレビで切り込んでいるのは、徳川軍が圧倒的に
少なかったというのは、どちらかといえば、後の徳川時代に
作られた話のにおいがするということである
資料によっては、ほぼ拮抗した兵数での戦いだったという
ことが、でてくる
もっとも、その戦い自体にほんとうに拮抗してる兵数が
でたかというのは、もうわからない
テレビで今回、いわんとするニュアンスとしては
兵数の差で、負けたというより、武田信玄の戦術、統率力
それから、いわば威厳というかオーラに負けたという
ことらしい
解説をしたひとりは、そのころの、軍の動きをサッカーに
例えれば、武田軍以外のサムライは、いわば、子供のサッカー
ボールがあるところにみんながあつまるような、動きしか
できないのに対して、武田軍は、唯一フォーメーションサッカーを
やってるといっていいという
実際もっとまえの、いくさは、結構のんびりしていて
「やあやあ、我こそは、○○という先祖がいて、その先祖はこういう
いくさで、こうした、手柄をたてて・・・」
などと、それぞれが、口上をながながとのべて
その口火をきったもの同士が、一騎打ちみたいなことをして
さらに、子供のサッカーみたいな、動きがおこって、あとは
大勢をみて、みんな追っかけたり逃げたりするのだ
ときは戦国時代に近くなり、騎馬武者の一騎打ちはだんだん
時代遅れになり、織田軍団に代表されるような、農民に
長槍などで、武装させた、軍勢を経済力でととのえて、のしあがる
というような時代になる
そういうなか、騎馬でフォーメーションサッカーができる武田軍団は
そりゃ、強かったでしょうね
家康の名誉を保つためか、解説者は、家康のすごいところは
この敗戦をただの、経験とおわらせずに、しかみ像をかかせて
ことあるごとに、慎重なふるまいをこころがけたという
話をのせる
たしかに、なかなか人は失敗から学べない
成功を、またやろうとする人はそこそこいるのでしょうが
失敗から学べない
家康は学んだということでしょうかね
この戦いの相手のいいところ、そしてとりこんだ、旧武田の家臣の
戦いかたが、のちの小牧長久手の戦いであり、関ケ原の戦いに
生きていくという解説もついた
ふーん、なるほど
ただ、負けない。失敗から得るものをしっかり、利用してる
ってところか
すごいということだね