おばあちゃんの研修

わが社の新入社員研修に、創業者の奥様に来ていただいてる
新入社員の人からみたら、おばあちゃんといっしょの時間


人との出会いを大切にしてほしいという
話がでたようです
人との出会い、その話を聞いたあとに、思ったのは
私と、先代社長は、40年ほどまえに出会っていますが
その出会いがなければ、システマーズに私は入社してないし
入社してなければ、おそらくは、今日いる新入社員との
出会いもない


いろんなめぐりあわせ、ということがある


出会いを、素晴らしいものにするかどうかは
本人しだいですね
「伝記」のような、ある人の生涯をつづった、文章を
読むときに、まさにキーパーソンといっていい
その人の成長を促したり、その人の人生の曲がり角につきそった
という人との出会いを、語ってるところに
出会うことがありますね


まえにも書いたのですが、そうした出会いがあるといいな
と誰しも、思うと思うのですが、ときどき思うのは
実はそうなりうる、可能性をもった人とは、実際出会って
いるのだけど、出会った自分たちのほうが、そうした可能性を
花開かせるだけの、準備というか、心の在り方なりが
なくて、その可能性を、見つけられないのではないですかね


こう書いてみると、人生の素晴らしさに出会えるかどうかって
まさに、自分次第なんだって、思うのですね


これから、書く事は、かなり最近、今年になって気が付いたのですが
「見える」ということが大事ということです。「目」は光を
とらえるけど、実際目でみたものがなにものかと、認識するのは
「脳」だということです
そうとなれば、こころの在り方で、見え方が変わるということも
うなづけますね
だから、「見えてること」「あることが、素晴らしいと見えること」
というのは、鍛えた脳があって、起こるということです


もっと、具体的にいえば、あなたから、やさしいおばあちゃんに
みえた、人は、私から見えたその姿とやっぱりちがうのだと
思うのです
いままでの蓄積ということもあるのでしょう
その人のやさしさ、心遣いが身に染みてくる、という感覚を
教えてあげたい


いいえ、もしかしたら、みずみずしい感覚をもってるあなたのほうが
私が、いってみれば、先入観でみてる、かつてこうだったから、こうだと
思い込んでる、その人の様子よりも、そのまま「ナマ」の存在にふれて
そのやさしさ、おおきさを、感じれたかもしれないですね


ある人の、素晴らしさを受け取れるということは、自分の側に
どれだけ、うけとれるキャパシティがあるかということに
かかってると言っていいのかもしれないです


おばあちゃんの研修は、もうちょっとあります
できれば、人に接するときの、大事ななにかを
ひとつでも、ふたつでも、感じてほしいと思います