若いということ

若さという言葉を使うとき、ときどき思い出す
サムエル・ウルマンの「青春」という詩があります
何人もの人が、金科玉条とあおぎ、そうあろうとした
という話がある、有名な詩です


人は、年齢を重ねるだけでは老いない。理想をなくしたときはじめて老いる


この言葉は、とってもいいのですが
一面は、なかなか、苦しいものもあります
つまり、じゃあ、若くあるためには、常に理想を追うのか・・・
みたいな


でも、自分もこの詩は好きなんです
たしかに、いい感じで、いいリズムで仕事なり
スポーツなり、趣味なりに、集中できる自分は
ちっとも「老いた」なんて、感じることは
ありません
それよりも、自分の使い方、自己抑制といったら
いいのかな、ここで、こんなふうに、自分を使おう
ということに、慣れてきて、それができたら
一日満足して、過ごせる
その、充実感を感じたりするのです


自分を高めていくことは
実際、生きていれば、追いかけるべきなんですね
というか、イキイキと生きるなら、理想を
追いかけることになると思うんです
でもね、ピーンと張った神経で、いつも必ず
緊張して、理想を追うのか、これは不正解でしょうね


なにを、言ってるのかというと、どの時点で自分の
いい状態をだすのかということを、コントロールしてこそ
いいパフォーマンスがでるんだということになると
思っています


若いということは、一面いいことなんですが
自分の、若いときを、思うと、上記に書いたような
自己抑制といったことが、とっても下手で、だしかたを
まちがい、自分とか他人と、なんというか摩擦が
あったようにも思うのです


それから、若いときだから、感じれるなにか
ということ。これも大事なことで、若いときに
いいものにふれるってことは、ぜひやってほしいこと
なんですけど、じゃあ、年齢を重ねてから、なにか
みずみずしい、体験とか、新しくなにかに気づいていくって
できないのか?っていうと、これも、気持ちのもちようだろう
という気もしてきます


いいえ、若いときからの、蓄積があって、ということが
正しいのかもしれません。たとえば、人と人の出会いって
とっても素晴らしいものがあるということを、ある程度若いときに
信じられるような、ことがあって、そういう体験もしてるから
新たな出会いを、新鮮に迎えられるというkとおがあるのかも
しれません


人間の生きていくうえでの、楽しみや宝物って、複数あっていいんですね
私は、人と人がなにかしら、いい感じで協力して、ことをなしていく
そんなときの、なんらか役割を演じたい。そういうことが
とっても、うれしいんです
そういうことを、だんだん、積み重ねてやっていく、いつも準備をしていって
いくつかは、花開かせるのを、実際見られる。そうした、生き方がしたい


若い気持ちと、ある程度年齢を重ねてこそ
感じる気持ちと、両方あったらいい、それを求めたいなんて
言ったら、ぜいたくすぎるのかなー?