司馬遼太郎

先日のこのブログにて
坂本竜馬の話を少し書きました
何度か、読み返した、「竜馬がゆく」という
小説は、大河ドラマにもなってる、有名な小説で
その話から、竜馬の人柄とかが、浮かんでくるというのは
小説の世界に、みせられたというか入り込んだから
なんでしょうね


司馬遼太郎さんは、とても好きですね
こう書いてしまうと、軽いのですが
ストーリィテラーとして、とても優れてる
といっていいと思います
誰かが書いていたのですが、たとえば、ユーミン
桑田 佳祐もそうした、ストーリィテラーとして
すぐれてるといっていいと思います


司馬は、言います
自分が書いた小説は、戦争の終結時、なんだこの日本という
国は?と自分の国に絶望しかけたとき、そんな自分への
手紙ですと言ってます


太平洋戦争のような、ばかげた、とんでもないことを
しでかした、日本。こんなひどい国ではなかったはず?
という思いが、江戸時代であれば、高田屋嘉兵衛
幕末であれば、坂本竜馬が、明治であれば秋山兄弟が
いたということを、思い出すように、手紙として
書いたとのこと


こういう生き方ってあるんだなと思います
つまり、自分がなぜだ、おかしい、そして
このひどさをみて、絶望を感じる、そうした思いに
ついて、考え続ける。答えを求め続ける


そういえば、私も、10代、20代のときに思ったことを
ずっと思い続けてるということがあるようです
人を育てるというために、なにかしていきたい
それは一貫して思ってることです


話はとびますが、山下大五郎の回顧展を安曇野市
北アルプス展望美術館でみたとき、戦争から戦後の
暗く、希望がなかなか見えない時期の絵というのを
みて、戦争から昭和20年代、30年代というのを、少し
感じれたということがありました


戦後の奇跡的復興とかいって、日本のすごさの一端を
語るのに、使われますが、そうとうなひとが死に絶え
食糧もとぼしく、たいへんな時期だったということが
人の話と、こうした絵から想像できます


日本はすごい国というふうに、言ってます
確かにすごいところはある。でも司馬遼太郎が書いたように
とんでもない、ひどいところも持ってるのでしょう


私は、そんな日本でこれから、どうやっていきていくのが
いいんでしょう
そうした、原点に返る気持ちって、持っていたいと
ときどき思います