家族という感覚

先週の金曜日は、新入社員と、わが社のおばあちゃんを囲んで
私の自宅で、食事をしました。


社員も何人かきて、10名ほどで、わいわいやりました
楽しかったですね


大家族のように、こうして、食べ物を囲み、お酒を飲む時間って
とってもいいななんて、自画自賛します
そういう機会って、実は少ないのかな?なんて思ったりするのです
日本ではこの数十年、確実に豊かになったといえると思います
それと同時に核家族化、家族という意識の希薄化といっていいかも
しれないです


まえのように、家にしばられるというのも、なんとも苦しい
のだろうと思うのですが、家族の意識が希薄化してしまってる
というのも、どうでしょうか


自分の存在ということを、しっかり根を張ったという感じで
感じれるのでしょうか?


人間は、リルケがつぶやいているように、実際孤独なのでしょう
でも、孤独ということ、ひとりであるということを
意識するからこそ、家族であり、仲間ということを大事にする
ということもやるのですよ


私は高校、大学と自分をうけとめ、なんの、利害もなく、そして
純粋さをもって、お互い語り合う仲間に恵まれたと思っています
そういう、時間と仲間を、ぜひもってほしい。社員同士
そういう絆を感じてほしい


新入社員を迎えて、きっと新入社員の人本人は、歓迎してくれて
仲間にしてくれるんだという、感じをもったと思います
それはとっても素敵なことです
そこから、仲間としての、絆を深めてほしい
お互いの、いい意味で、厳しいこと、辛口の意見も言い合える
そんな、仲間を目指してほしい


辛口意見なんていうと、ちょっとハードルが高いのでしょうかね
まえに、自分の身内であったことですが、ふとしたことで
しかる場面があって、そのしかる、という行為についてどうよ
という話を、しました。つまり、家でも学校でも、しかられるという
ことは、まず、起こらないという事実。「えっ」と思うのですが
そうなのかもしれないです
そうなのに、自分のことを、辛口で批判されるって、かなりこたえてしまうのかな


もし上記に書いたことが、そのままだったとしても
ぜひ、社員だったら、成長したいのだったら
辛口に指摘しあえる、そうしたことを希望します


こういうことは、今日ここに書くことがはじめてでは
ないのですが、そうですね。そのトレーニングの道筋を
考えたほうがいいのかもしれないです


スポーツで、何度も練習するから、ちょっとずつうまくなるように
自分で、自分の心を鍛えるということも、ちょっとずつやるということが
大事のように思います


そうしたことの、すべての前提が、「成長したい」という思いを
しっかりもつということかな
そこから、どうしようか。ひとつずつ、トレーニング、考えましょうね