司馬遼太郎

ひさしぶりに、司馬遼太郎の作品を読みました
「尻喰らえ孫市」


司馬遼太郎ならではの、ストーリィの展開の面白さ
文章で書かれてることが、ビジュアルなイメージとして
わきあがるような、うでがあるなと改めて感心する


木下藤吉郎との、会話の妙だとか
うってかわって、本願寺の僧とのやりとり
本願寺の信仰者の様子、合戦で、殺される兵士の描写


実際のところ、司馬遼太郎の作品は、繰り返し読んだ
竜馬がゆくであり、菜の花の沖だったり、読んでるので
その、語り口は、また出会った、いいものという懐かしさにも
似て、やっぱりいいなというのが私の見方


よく、「ストーリィテラー」としての名人という
意味では、ユーミンを引き合いにだします
「ビジュアルなイメージ」がわくという意味では
似てるなと、何度も思うのです
色や、服の様子、表情、景色などを、ありありと
見てきたと思い込めるようなリアル感をこめて
描くのがうまいのですね


そういう意味で、孫市についても
惚れた女性の、その様子、しぐさ、ほっそりした肩
など、描写は、ほんとうにそこに自分がいるんだと
錯覚させんばかりの、なまなましさを、伴います


そういう感覚を楽しむだけでも、面白いのですが
もちろん、主要人物の心のありかた
英雄の英雄たらんところの、すごさを、感じさせる
調査や想像力なんでしょう、内容自体の面白さも
あいまって、読む人をあきさせない、本ですね


司馬遼太郎は、話していても、人をひきこむ、語り手だった
という話があります。さらに、作品を書くというとき
古本屋にいって、膨大な本を買ってきて、読み調べた
といいます
どこかの、記事で、自分は書くために調べるのか
調べるために書いてるのか、ときどきわからなくなる
という話があります


確かに、孫市でも、「余談として」というコラム的な
現代の司馬がやってることを、紹介する文章が
なんどもでてきて、作者が面白がってこの小説を書いてる
ということがわかって、ここがまた面白い


そういう意味で、その余談を集めたといっていい
エッセイ、「街道をゆく」シリーズが好まれたのは
このあたりの、司馬の人となり、司馬のその行動にまつわる
面白さの妙といったところでしょう


この尻喰らえ孫市は、さきにかみさんが読んですすめてくれました
たしかに、読者に親切な書き方かもしれないです
竜馬がゆく、もしくは、坂の上の雲は、面白いことは面白いけど
作者のわかままというか、書きたいという意識がさきばしってる
ようにも思えてきます