コントラスト

州之内徹という、画廊経営をし、美術のエッセイで
人気のある人の文章がとても好きで、いいなと思っています


その飽きさせない、文章って、あまりどんな構造?なんて
思ったりしなかったのですが、おそらく自身もファンであると
思う、丹尾安典氏は、「醜」と「美」のコントラストの妙だと
言い切っているようです


この話と、もうひとつ、せんだって聞いた話が私の
頭のなかで、ぐるぐるまわる
もうひとつの話というのは、ここ数年来、ファンになってる
陶芸作家に今年あったとき、その人も「民藝」の流れを組む
陶器を作ると思っているのだけど、「食事のとき、これでもかと
民藝のうつわばかりだされると、うんざりしませんか・・・
いろいろ、あっていいのでは?きれいな染付、土もの、バランスの
なかに民藝のものがあって、それがいいと感じる」


コントラストということが、あるのかなと思いました
確かに、食事そのものも、似てるコンセプトで
これでもかとやられると、飽きる


「陶芸」であり「アート」そして文章
どれも、似てるところもあれば、全然ちがうと思う
ところもある
まして、食べるもの、であればまさにそうだと思う


ただ、人間って、変化とかコントラストに
ひかれるということは、ありそうなんですね


「飽きる」ということは、どうしてもあると思うのです
飽きないように、続けられるようになにかを工夫する
もっとも、飽きないということが、目的化すると、ちょっと
おかしいとも思うのだけど。


そんなとき、「変化」だとか「コントラスト」かなと


州之内徹が、自分自身のいわば、醜い過去をさらして
(ここで、さらしてる、というところがひかれるひとつだが)
そんな、醜さのつぎに、鮮やかに、「色」だとか「美しさ」の
きわだつものを、だす
こうした、文章のデザインのうまいこと


読んでいると、なにか「素晴らしいこと」だとか「美しいこと」
のオンパレードをやられると、ああ、そうですか、もうそういうのは
おなかいっぱいだよ、となるのかなと感じます


そこで、醜いものとか、ぞっとするとか、美しいとかいいとかと
反対の概念のものも、まぜていく。
食事の味付けもそうかもしれないですね


文章も、読んでもらうことに、みえみえに配慮するというのも
いやらしい。「素のまま」というところがほしいところですね


こんなふうに、書いてくると
私のブログなんぞは、思いつくままどんどん
書いてしまうので、さぞ、読んでいただける人には
つかれる、しろものになってると・・・ちょっと反省です・・・