平塚市美術館

岸田劉生萬鉄五郎の展覧会を
見てきました


岸田劉生の、椿君の肖像というのが、知り合いに
とても似ていて、じっとみてまいりました


肖像画って、いままでで、そんなに気持ちをこめてながめた
ことがなかったのですが、岸田劉生のその人らしい絵というのは
肖像画なんだろうって、感じました


絵をみるということは、その人の生き方に
ふれることなんだろうなということ
アートの作品をみるということは、その人の
生きてるという証を、感じることなんだろうなと
思います


やなせたかしアンパンマンで有名な人、漫画家かも
しれないですが、私のなかのやなせは、詩人です


中学生のころだったか、やなせの詩集を手にしていました
ピュアな気持ちがつまった、詩集。10代前半の私にして
それは、なんていうか、気持ちがどうもついていかないような
純粋さ、少年らしさといったことが、ちりばめられて
いたように思います


そんな経験が、そのまま生きてというより、
いろんな絵や彫刻などをみて、その感じた心を
思い出して、絵に心がくっついていくような、そんな
感覚をもてるようになったということかもしれません


昨日、家で話していたとき、絵を楽しめる、楽しめない
という「差」について
私は、アートの楽しみを感じる、「扉」をみつけて
ときどき、それをあけて、楽しんでる
まだ、アートを楽しんでる感覚がつかめたない人は
その扉がみつかってないだけ


そういう言い方をしてみました
決して、その人と私は、別の世界というか部屋にいる
わけではない。同じ部屋なんだけど、ちょっとだけ
ちがってるだけ。


実際、絵とか彫刻とかみて、いいなと思えるときが
あっても、当然ながら、どんな作品をみても、それなりに
鑑賞できるなんてことはないのです
ときどき、自分の感覚にふれてくる作品があるということ


そういうことなんですが、絵をみてると
やっぱり、絵をみる、水先案内人のような役目を
してくれた、州之内徹とかの、見方であり、語ってる言葉が
頭にあるのは確かです


今回、萬鉄五郎の作品にひかれたのも、州之内徹が特に
思い入れをもって、その作品に接したという記述が頭に
あってのことだと思っています


昨年、横須賀美術館で、州之内徹コレクションのなかで
とても有名なポアソニエールが展示されていて、見たくなって
でかけました。海老原喜之助の作品の「青」はいまでも
鮮明のその色を思い出すことができるように思います


もう7年前くらいだと思いますが
州之内徹がとても気に入っていた、長谷川りん次郎の
猫も、最初は平塚市美術館でした


ときどき、気になる展示をする、平塚市美術館です