関心の自立

人がなにかに、興味をもつようになる
関心をもつようになる。
それを、意識的にできるか?さらに、他人に意識的に
そう興味をもってもらうように、できるのでしょうか?


おそらくは、かなり難しい話でしょう
ただ、やり方はなくはないのかな、という感じもします
何回も、ふれてみる、やってみる機会をもつということが
王道といっていい、やり方なんだと思います


私が好きなもの
人材育成、パーティ、テニス、料理
うつわをみること、美術鑑賞、音楽・・・
まだありますね
自然にふれること、古寺をめぐること、歩く事


たとえば、アートにふれること。このことを興味の
ない人に、興味をもってもらおうとしたら?
やっぱり、まずはいっしょに、絵なり彫刻をみる
ということが、いいのでしょうね


自分のことを、思い出すと、結婚した相手がとても
アートが好きなので、「つきあい」で絵をみたりが
増えたのですね
ひとつ、自分のなかで、変化があったのは、相手と
絵の話がちょっとくらいできたらいいな、という感覚で
絵のエッセイ、「気まぐれ美術館」 州之内徹を読んだ
ことですね


絵をみる、特に美術館で展覧会が行われる、高名な画家の
絵をみる。みてるほうは、見る作品は「いい作品」「よのなかに
認められた作品」という先入観がありますから、仮に
楽しめないとすると、楽しめない自分がなにか悪いという
ような気がしてしまいます


州之内はいいます。「自分の手元におきたい」と
すんなり思える、これ以上のその絵に対する賛辞が
あるだろうか


このことを、聞いて、絵をみたときに、自分の手元におきたい
という感覚があるかどうかで、気に入ればみればいいし
気に入らないものがあるのが、ある意味普通なんだと
思えるようになったのです


そんなふうに「見方」であり「楽しみ方」が、心の中に
すとんと、はいると、それこそ、楽しめるようになるのでしょう


そうしてるうちに、画家の生き方、アーティストに生きざま
その生きる力のたくましいところの、すごみ、といったことに
自分の関心がひろがるのを、感じました


「邪道」かもしれないですが、もともと、自分がもっていた
命題、「いかに生きるか」ということと、アーティストの
あれこれにふれることが、くっついていきました


この春、黒田清輝という、明治の有名な画家について
知ることがありました
展覧会をみたあとに、日曜美術館にて、黒田は、「裸婦」について
この裸婦を、芸術と認めるように、日本のいわば、社会に
訴え続けたという、切り口の報道を、見ました。見た直後は
そんなことより、別の切り口の、黒田の魅力を自分は感じたな
(女性そのものの、美しさのことかな)とか思っていたのです


しばらくたって、思うに、言ってみれば、西洋の裸婦を、アートとして
扱うということは、「特異」なこととして、とらえることが
できますね、とそのとき、解説していた人の話が、記憶に残りました
そのことを、留学中の黒田は、自分自身で、評価の高い裸婦の絵を
描き、そうした、裸婦を、アートだよと、日本の一般人に言い続けるまで
そのことに、こだわったのですよね
それは、日本人のすごいこと、明治の人のすごいこと
この黒田清輝のすごいところ、なんじゃないですかね?


関心の自立は、いろんなこと、くっつけていくと
あり、でしょうね