りんごの木

学生時代のクラブ活動
読書会を、英語でやるということがあり
イギリスの作家、ゴールズワージィのりんごの木という
作品をとりあげたことがありました
これ、日本語訳も文庫本になっています


ひとりの若者が、ピュアな、田舎育ちの、女性と
あるバカンスで恋におちて、結婚しようという
気持ちになる。
ところが、ある、きっかけで、それをやめて、都会の
自分のもとの生活に近い、生活をしてる、女性と
結婚していくというストーリィ


この主人公の若者を、裏切者だとか、人生に対して、どうなんだって
若い、自分はそのときは、いきどおりを感じたものです
でも、若さだけで、生きていけないのを、感じ始めた
いまなら、いっときの感情で人生の選択をしてしまっていいのか
というのは、やはり、真実として、再考の余地があることだと
感じることができます


まっすぐに、人を信じて、まっすぐに感情をもつこと
その美しさ、その逃げられない苦しさ
若い、経験の少ないというか、まだ、自分がどう生きるかという
ことについて、考えきれない、そのころは
純粋なことこそ、価値と感じたのですね


生きるっていうことは、いかに、自分のやるいろんなことを
充実させるか。そういうことを、考えることがいいことだと
信じています
ただし、相手があって、いっしょに進むということが前提となるなら
いっしょにいる人も、充実するように、配慮しながら生きる
ということが、とっても大事になります
そのことが、うまくできなければ、きっとその人は、いっしょに
進むということは、難しいのです


自己実現という言葉が、大事だと思っています
自己実現は、まず自分と向き合うことが、スタートです
自分とどこまで、向き合うことができるのか


自分と向き合い、他人と向き合う
そういうことは、実際、結構しんどいことです
そういうときに、どこまで相手に寛容になれるのか


少し前に、「アルジャノンに花束を」という小説で
主人公が、その主治医いであり、支援者と言っていい
大学教授に対して、寛容になれない、そうした意味で
主人公の、精神の未熟さということを、書いていますが
この寛容ということも、とても、大事なことです


まちがえたくないのは、自分と向き合うということを
やってるときに、自分自身について、どこまでも、寛容に
なってしまえば、それは、向き合って、次の行動を
というときに、さまたげになる


一方、向き合うときに、ある程度の寛容さということを
ともなっていなければ、おそらくは、かなり危険な緊張状態の
なかに、自分を置くということから、逃げられないという
困った事態に陥ってしまいそうです


このバランスをもちながら、ときに、さぼってる自分をたしなめ
ときに、ちょっとずつかもしれないけど、自己実現に努力を
続けてる自分をほめて、生きていくということが、いいことと
感じています


結婚相手に、純粋さを、いいえ純粋さのみを、求めるのは
苦しいこと
本のなかでのみ、味わう、ファンタジーとして
とどめることがいいのかなと、感じるのです