ときどき、子供にもどる

ときどき、子供にもどれたらいいなと思います


いいえ、現実逃避とか、懐古趣味とかのつもりは
ないのです
子どものもつ、ピュアなところ、感覚がフレッシュなところ
そんなところを、思い出したいと思うのです


もちろん、ないものねだりなのですが
気持ちはそんなふうに思うことがあるのです


うつわを見るのが好きになりました
どうも、くりかえしみて、くりかえし使って
うつわ、こんなのが、自分は好きだということが
積み重ねで、できていくようなのですね


でも、そうした、積み重ねを、一度こわしてしまって
フレッシュに、もう一度うつわをみたくなります


そうした、いままでのしがらみというか
積み重ねを、一度こわして、フレッシュに
ということ、対、人間についても、よく思うのです


私が、信頼してる、素晴らしい人に、出会って
そういう積み重ねから、人間はこんなふうに生きるのがいいと
思い込んでるところがあります


でも、時代は変わる。いま私が思い込んでることって
普遍的にすごいことなのか?
そういう反省がいるように思います


ときどき、子供にもどりたくなります
それは、やっぱり「リセット」ということを
どこかで、自分で自分にしたいという気持ちの
表れなのかもしれないです


10年ほどまえだったと思います
大好きな、安曇野において、ちひろ美術館
絵をみていました
ちひろの、残した言葉に、はっとします
「自分は若いころにもどりたいなんて、思わない
あんな、仕事もできない、絵も下手だった、若いころに
もどるなんて」


そんなふうな言い方をしてました
それは、全て、受け入れたわけではないけど
ある意味、日本人が、若さということを、変に
ありがたががるのには、ちょっと似てる言い方で
反論したくなるような、そんな気持ちはあります


若いということは、そりゃ、可能性という意味では
たくさんあって、貴重、ということがいえるでしょう
でもね、若い、そうした不安定なことは
ときに、人を傷つけ、自分を傷つけ、つらいことも
たくさんあります


生きるということは、いまを、肯定することから
いい考えが生まれるということを、知って、なにかを
するということが、大事のように思います


気持ちは、ときどき、子供にもどりたいけど。