何度も同じ話を聞く

河合隼雄先生は、カウンセリングの本のなかで
もうひとつの眼という話をされています
嫁の愚痴をたくさんしゃべってる、初老の女性と会って話していて
河合隼雄のもうひとつの眼は、「ああ、この人は死ぬ準備をしにきた人だ」
と感じたと、書きます


歳をとってくると、相手が若いというだけで腹が立つという
話も披露しています。これは年寄りの理不尽さということも
あろうかと思うのですが、自分もどちらかといえば、いいえはっきりか
年配者のほうに近くなったので、やっぱり「腹がたつ」ということは
少しわかってしまいます


年配者のやることが、少しずつわかるということ自体が
つまりは、自分もそういう存在に近くなったということかとも
思います
ときどき、思うことは「何度も同じ話をくりかえす」ということ
これは、年寄りのまあ、「しかたないこと」というような
悪いこととして、思っていたのですね


同じ話をくりかえすというのは、人生のなかで、自分としては
宝物といっていい、出来事をくりかえし思い出してることだと
言えると思います。このことは、その本人にとっては、大事なことで
なかなかない、「宝物」を愛でている、そうしたことで、今生きてる
バランスを大事にしてるとも言えます


人が生きていて、宝物といっていいことに出会うということが
あるんですね。そうした宝物は大事にしたい。だからくりかえし
思い出すのです
そんなことが大事か?とか、乱暴に扱うことは、ある意味簡単です
だけど、乱暴にしないで、大事にその出来事ということを
自分は大事なんだと思い続ける、これは、素敵なことといって
いいのだと、思います


言い換えると、若い人というのは、なにが大事なのか
わからない、ということもあるように思うのです


2年ほどまえ、社員の結婚式がありました
その結婚式で、新郎を赤ん坊のころから知ってると言う方が
挨拶をして、今、こうして人生のパートナーを得て、今日晴れ舞台に
いる彼をみるということが、ほんとうにうれしいという話を
されました


その挨拶は、私の心にささりました
そして、しばらくたって、その新郎の彼の仲間と会うときに
「年齢を重ねるということはいいこともあるんだよ、
結婚式のときの挨拶、おそらくは若い皆さんより、私のほうが
素晴らしいと思えたこと、あるのですよ。それはひとつの
年齢を重ねたからわかる、素晴らしさなんですよ」


そんな話をしたのです
年齢を重ねて、いろんな人と出会い、別れ、そういうことが
あったからこそ、「赤ん坊のときから知ってるあなたの晴れ舞台」
がこんなにも、まぶしい、こんなにもうれしい
この気持ちの大きいこと、うれしいことは、経験を重ねた自分は
ほんとうに、想像できる。いい意味で共感できるのです


もうひとつの眼というのは、想像力を駆使して、ある事柄が
ある人にとって、いかにうれしいのか、素晴らしいのか共感できる
ということがあって、それこそ、会ってほしい眼なんだと
言えると思います


そうした素晴らしいこと、くりかえし思い出すのが、年齢を重ねた
自分たちの、うれしいこと、特権ともいえるかな・・・


歳をとるって、いいこともあるんですねぇ