旧交を温める

学生のとき、一番かもしれない、いっしょに過ごした人と
旧交をあたためます
この時間がなんて、いいことか
「なつかしい」とか「ずっと、気にしてくれてる貴重さ」みたいな
おそらくは、古い友達となら、だれもが感じる心地よさ、愛おしさ
といったことが、ありますねぇ


あえて、せっかくだから、説明っぽく書くとしたら
思いをさらせることが、一番のうれしさ、といっていいこと
かもしれません


相手とじっくり話して、この人に今自分が感じてることを
伝えてみたい、そういう思いって、結構な割合の人があるのでは
ないでしょうか?
生きていれば、いろんなことに出会いますね。素晴らしいこと
うれしいこと、悲しいこと、やるせない思い


今私自身でいえば、肉親との別れ、友人が虹を渡るということでの
別れ、といったことが、でてしまいます
だけど、「悲しい」ばかり、とも、限らないのですね


もう15年か、20年まえの朝ドラ。田辺聖子の生涯をつづったもの
だったと思います
ご近所で、友人でもあった人が逝った、その日に、同じ友人でもある
近所のおっちゃん役、の人のセリフをときどき思い出します


「肉親であり、親しい友人との別れというのは、なんて悲しい
むごい、出来事でしょう。だけど、そうした悲しさ、むごさという
ことが、生き残った自分たちは残された時間を、いかに、大事に
意味ある人生にしようという、誓いとしなくてはならないのだと
決意することにつながる」


そうなんですね。親しい、ときには自分が一番相手の気持ちが
わかるという、そういう人が逝くということは、自分の
人生をよりよくするぞという、エネルギーに転換するということが
本当に大事なんです


まあ、そんなふうに書きながら、いろんな日常の雑事に追われ
ちょっとした、不注意にふりまわされ、「大事だ」と
思ったことも、ちょっとずつ、ほこりかぶるように、色あせて
しまったりするのですが。もちろん、喉元になにか、つきつけ
られるように、亡くなった誰かへの気持ちを持ち続けるのも
しんどいとも、いえますね


だけど、よりよく生きることが大事だ、これは決して忘れては
ならない、生きる証、生きていくうえでの、道しるべなんだと
肝に命じておく必要があると、感じます


旧交をあたためる
今60歳で、古くからの仲間とあえば、実際数人は虹を渡った
人の話もはいってきます
だから、だからこそ、自分の人生の大切さを思うことにも
なります
それが貴重だし、また、ややふんわりとしたなかで
忘れずに、でもしんどくならないように、思い続ける、そうしたい
ですね