見ること、受け取ること

佐藤忠良さんの、スケッチをずいぶん前にみて
絵としての出来というより、線の探求といったことを
感じて、ああ、となったことを、思い出します


いいえ、佐藤さん、彫刻家で絵もうまい
だけど、そのスケッチは、その絵になるまえというか
絵として、スケッチするその過程にあるといっていいか
線そのものを、追っかけてるように見えました


ごくごく、その気になったときだけ、スケッチブックを開いて
スケッチをというかスケッチの真似事をしてみるときが
あります
それは、佐藤さんのスケッチをみていたから


例えば、山の稜線
その稜線のいい感じをもっと「見る」ということの
道具として、スケッチをするということ
以外に、見たといって、細かいところ、いろんなこと
見落としてるというのが、人間がやる態度なんだと
気が付きます


見落としてる
これは、「人間」そのものにもしがちな、私たちの態度
といっていいかもしれませんね


もちろん、普通に会ったからといって、その相手の
すべてが見えるということは、まあ、難しい
だけど、やっぱりこちらが少なくともなにかフィルターを
通してみるのでなく、会ったまま、そのままの相手を
受け入れるということで、見たいと思うのです


それが、お互いにとって、一番望ましい態度だという
ことが、まずあります。また自分がどんなふうに
相手に接してほしいのかと想像すれば
やっぱり、思い込みだったりなんらかの理由での
先入観でみるのではなく、そのまま、の自分を
受け取ってくれたらいいなと思います


ただ、それは理想だし、こうして「話」としては
できるけど、実際会ったときに、なにもなしに
ほんとうにあるがままを受け取れるのか、というと
それはそれで、難しいというか、まあ、できないこと
といっていいです


こういうことを、臨床心理学の河合隼雄先生も著書で
書いていて、なにか先入観、つまりとらわれてしまう
というのは、よくはないけど、まったくとらわれのない
そういう自分というのもどこまでできるのかとなって
河合先生がいうところには、つまりはとらわれていることは
自分で知って、望むということがいいというか、それしか
ないのだと、説明があります


見落とさないようにする
人間だったら、くりかえし、会うということに
なるかと思います
相手のふるまい、相手が考えてることに
くりかえし、受け取って、どういう人かということを
受け止める


こんなふうに書くと、相手というか自分というか
一定のところ、「安定してる」ということが大事ということも
言えそうです。会うたびにゆれてる、変わってしまってる
ようにみえるのでは、どう受け取っていいかわかりません


さて、スケッチでなにかを見るということ
「見る」という行為、そして、「聞く」、対自然なら
「感じる」でしょうか
こういったことを、丁寧にしたいということが、よく思う
ことです
受け入れる、ということ。人間には、承認欲求
ということがあって、だれかしら、関わる人に、承認されたい
ということがある、と、思っています
そういう対象からよく見てもらう、自分の考え、振舞いを
受け取って、認めてもらう、そういうことってとっても
大事だなと、思います


今、自分が大事だと思えることは
一定のところ、自分自身は、そういうこと、それでいいんだよと
認めてもらってここまできたのだ、と振り返ることができます