絵の話

日曜美術館 田島征三を見ました
いのちのぐりぐりを、描く
この魚をにぎって、ぐりぐり・・・
目の前で、うちの奥さんは、子供のころの思い出なのでしょう
バッタをつかまえて、手の中にいれて、それこそ
ぐりぐり・・・だから必死にぐりぐりされると
つい、手をあけちゃうのよ、と、話しました


子供は、こういう、「生きてる」体験がいかに大事かと
思いました
また、映像でそれなりに伝わってくるのですが
奥さんがやってみせて、(ほんとに、バッタがはいってるわけでは
ないけど)目の前にいるのとは、迫力がちがうなーなんて
妙に感心しました


田島征三は、うまく描くなんて、だめということを
いいます。うまく描くということに気持ちがいくと
それで、生き生きさが減るというような趣旨で語ります


思い出したのは、佐藤忠良さんのスケッチです
スケッチ、うまくないな、と感心したことを、思い出します
それで、少しスケッチなるもの、しようかなと思いました
スケッチは、絵がうまくなるための手段だったりする
のですが、いいえ、そうでなくて、たとえば、絵を描きたくなる
そういう手段ともいえるし、もっといえば、対象を見るための
手段、とも、いえるかもしれません


旅にでると、よくうちの奥さんは、スケッチしています
美しいと、思ったことを、スケッチすることが
まるで、生きてるそのもののように、思います


今年の7月、大好きな信州に行きました
残念ながら、天気は雨、曇りです
でも、奥さんは、スケッチします
雨に煙る、景色をスケッチします


東山魁夷記念美術館に、でかけました
思いがけず、「雲わく峰」という作品に出合いました
まさに、山のそのひだといっていい、ところに雲がある
わいてる、といっていい


画家が、美しいものを絵に描いて、それで、一般人である
ぼくらは、その美しさに気づく、ということ
何度目かなのですが、雨に、自然とグラデーションになる
景色に、美しさを感じる、そういう旅になりました


東山魁夷の描く世界は、かなり、精巧な、しっかりしたもの
と、思いがちです
ですが、東山は手記のなかで、スケッチはスケッチのよさがある
そのとき、受け取った、空気感といった、そのときできた
できたての、よさといっていいかもしれにない、なにかを感じると


田島征三の名前をみて、絵本を手に取ったことがあることを
思い出していました
そう、子供の感性といったらいいか?
荒井良二とも、共通なような、描きたいから描いてる
ということが、伝わってくる、そんな絵という
印象でした


田島征三の生きてる姿は、とても生きてる姿そのものが
いいんだと、納得できました