木島櫻谷

万壑烟霧 ばんがくえんむ
この絵、この世界にたどりつくのに
絵の道をたどってきた、写生をくりかえしてきた
そんなふうにも、思える、木島櫻谷の道


東山魁夷の「雲湧く峰」という作品が
長野県立美術館 東山魁夷館にあったのを思い出します
一定以上、湿った空気が山の裾野にかかるとき
雲が生まれていく。そんな自然の美しい風景、その瞬間を
とらえてるといっていい、様子


川があり、奇岩があり、山があり
家もあって、景色をながめてる人(自分でしょうか)があり
その世界は、霧がかかってる、山がある、山が雲をまさに
生んでいる
そして、その世界はすべて、豊かなのだ


木島櫻谷が表現した世界のなんて豊かで、安心で、愛おしい
日本なのか?
「和楽」という作品にでてくる、乳をのませてる女性、それを
見守る老いた人、また牛たち。それらがなんてほほえましく
豊かで、余裕があり、ゆったりした時間の流れがある
そんなふうに思えるとき。日本のかつてもっていた、良さというのが
そこにあると思える、情景


写生を、ほんとうに大事にしたという木島櫻谷
それは、マティスがそうだったような、行為とみえる


「こんなふうにアウトラインを描くことは誰でもできることだ
画はほんとうにそのものを自分のものにするために鉛筆を
通して物をみるのであって、ただ、形を追うのではない
何枚も何枚も描く間にそのもんおをほんとうに知る。それを
最後に絵にするのだ」

マチスのみかた 猪熊弦一郎


目が手になり、手が目になるといっていいのでしょうか
実際、スケッチに時間をかけたことのない、自分には
言葉でしか、感じられないもどかしさがあります


木島櫻谷の写生帖への思いといった漢詩が、最初の部屋に
ありました。大意しかわかりません。写生帖を擬人化し
その存在が、いかに自分にとって大事かといった詩でしょう


絵を描くことを、愛した画家が、もっていた思いという
ことにふれて、うれしくなるのは、絵が好きだからだけとは
いいきれない、そんな気持ちにさせてくれるものでした


生きてるが如く描くのではない、描いて生かすのだ・・・


木島櫻谷が京都であり、日本各地をスケッチ旅行した
ということも、木島櫻谷をすきになる、要素でした


こんなにも、絵を愛し、日本の風景を愛した画家がいた
それだけで、うれしくなる展示でした


今年は、マティスであり、木島櫻谷であり、作品から
その人柄を想像して、いいなと思える作家がふえて、うれしいことです
こうして、絵をみる楽しみが大きくなっていくというのは
いいですね