ひとつのことを、目指す生き方

ゴールデンウィーク、最後の日に、東京、六本木の
泉屋博古館にて、木島櫻谷の絵をみて、感じたことがありました
燕子花図、尾形光琳という江戸時代のスターといっていい画家が
評価を得ている、画題にあえて、自分の描き方で臨むということ


実際、燕子花図がよくて、どうしても、尾形光琳の絵と
見比べてみたくなり、青山の根津美術館にそのまま足を運んだのです


美しいもの、このことを表現するという、そういう仕事に
ついたのなら、こういう覚悟をもって仕事するということが
あるのかと、思い至ったことがあります


比較されるのは、あたりまえ。そのなかで、自分は自分として
表現しつづける


比較されるということは、ある意味、その世界の頂点に近くなれば
それも、あたりまえ、ともいえますね。でもなんて厳しいことか


たとえば、スポーツ。
昨日の新聞に、男子プロテニスで、国際試合で、4人目の優勝
とういことで、ダニエル太郎なる、プレーヤーの記事が
ありました。
スポーツでは、成績をあげるということがなければ
誰も注目したりしません


ある仕事をするということについて
ある環境を理解して、そのなかで、人にやくだつなにかしかけを
作るとか、ビジネスをするとか。そういうことは
自分より、できる、優秀な人は、他に何千人もいるかもしれませんが
その局面では、自分が一番の、責任とキーポイントをにぎる
ということが、ありえますね
そうしたときの、責任の持ち方。まわりをまきこんで
仕事が動くときの、キーを握る、メンバーとして、あるべき振る舞い。


仕事をすれば、わかりますが、なかなか計画通りなんていかないし
やれば、やるほど、奥は深く、お客さんの要求は高い


そういうなか、先方のニーズをしっかり受け取り
仕事について、一定以上の品質をもって、受けられる
そういう存在でありつづけること、これも
覚悟、がいることといっていいと思います


ひとつのことを、追い続けること
それは、苦しいことでもありますが、おそらくは
自分を鍛え、信頼をとりつづけるという、厳しいながらも
生きる道そのものといっていい、道筋といっていいのでは
ないでしょうか?


京都に、木島櫻谷のもと自宅である場所にて
その絵をみたときに、絵を描くということに
本当に、自分をかけてきて、満足していたのではないか?
そんな気持ちになる、眺めていて、絵を描きつづけた、その姿を
とらえた、自画像を見ました


人間は、最後はやっぱり、自分が自分の生き方に
納得して、おれはこう生きて、満足だと思えるかどうか
それが、とても大きいかなと、思うのです


木島櫻谷は、おそらくそういう生き方をしていた
途中、途中はきっと、苦しみながらも・・・