アートを見る

スポーツで、「ゾーンにはいる」という言い方で
プレイが、ブレイクスルーし、大きく伸びることが
あることを、表現することがあります


このこと、例えば、なにかのストーリィを描いてる、文筆の世界
なにかを、研究する、学術の世界。おそらくはデザインであり
絵に携わるような、アートの世界
そして、ビジネスにおける、人が育つということに
おいても、似てる、こと、ゾーンにはいることは
あるのだと、想像します


休日に、美術館でアートを楽しむのが、ひとつのルーティンに
はいり、アートのあれこれに触れてるのが、自分の
生活の満足度をあげるひとつになっています


あるとき、モネの光の表現がいいなと、思える、そんなふうな
タイミングがあるようです。去年でいえば、モネを見れるようになった
自分の目が、モネという言ってみれば触媒を通じて、マティス
世界に触れるということが、可能になりました


2020年、夏の箱根ポーラ美術館は、モネとマティスの展示を
していました。そして、絵そのものだったり、対象といったことは
相当な差のあるふたりながら、自分の好きな、愛した場所をもつこと
そして、その場所、空間に人を招くということを、自分の
喜びとしたこと、そういう共通の方向があることを、みせてくれ
ました


ちょうど、2019年、モネが人生の後半を過ごし、連作、睡蓮を
描く、そのための庭を作ったという、ジベルニーを訪ねたりして
モネの光の表現、筆触分割の表現があり、オランジェリー美術館で
みたそれは、モネ自身が、疲れた人の癒しとなることを望むと
解説してる、その絵に、自分の一部を預けてみるなんてことを
体験したのでした


そうした、「モネの体験」から、マティスのめざした方向というのを
想像することができた、のです


おそらくは、モネの世界観、モネのもてなしたい、といった空気感を
知らなかったら、マティスのそれを、想像することができなかったのでは
ないのか?そんなふうに、感じます


アートの作家は、お互い影響しあうもの、そして
おそらくは、アートを愛でる人が、その自分の世界の伝え方として
ある空間だったり、場所そのものを、自分の表現したいものに
つなげていくというのは、とても、自然なことといっていい
かなと思います


アートの楽しみ方は、その楽しむ人の数だけ、バリエーションが
あっていい、のでしょう
そして、アーティストの生き方から、エネルギーをもらえるのが
うれしいと思う、自分としては、モネの、マティス
その世界の伝え方の、素敵さ、高さに、あこがれを伴って
惹かれるのです


アートは、表現するもの。そして、その表現を受け止める側に
なにかが伝わっていくのが、やっぱり大切とも、思うのですね


だいぶ前、直島だったり、アサヒビール大山崎山荘美術館にて
モネにあったとき、ピンときてなかった、自分がいました
もちろん、知識として、印象派の、モネという世界中で評価
されてる画家の絵、という前提が頭にありますから
みようとはするのです


はたして、なかなか、そのモネの世界が、見えてこない
その世界の、らしさ、に飛び込めないといったらいいか
そういう、自分でした
あるとき、ゾーンにはいれた、のでしょうね・・・