伝えるということ

うつわを見るのが好きになって
民藝という、活動が気になりました
民藝の、その活動をささえた、河井寛次郎バーナード・リーチ
といった、大きな足跡を残した人が、山陰の窯元を
指導したという話を聞きました


実際、現地で話を聞くと、河井やリーチと、
たとえば、出西窯という、いまでも
民藝の活動を大事にしてる窯がありますが
そのころの、出西窯にいて、働く人は
親子ほどの年齢差があったという、話でした


こんな話を聞いて、親子というのは、「伝える」という
ことには、実際適した、いい年齢差なのではないか
そんなふうに、思うときになりました


自分が転職して、いろいろあって、そのときの
ステマーズは、自分の上は、創業者の社長でした
この落差、当然ながら、責任も考えてることも
経験も全然ちがう人と、毎日やる仕事
この違和感に、自分は、なぜこういうポジションに
いるんだろうと、思ったことがあったのですね


ところが、ある時間がたって、見直してみると
親子ほどの年齢差だから、やることができた
伝えてもらうことができたことが、あったのでは
ないか?


そんなふうにも、思えてきます


おそらくは、うつわ作りであれば、はたして、どんな形に
しよう、釉薬はどうしよう。そういうことを、手取り足取り
教えてほしいのが、経験の少ない人の、気持ちかもしれません
だけど、大事なことは、その上にある。実際作ってみて
壁にあたってみて、どう考えるか、自分のスタイル
自分の表現したいことを、追うということは
どういうことか?


営業の仕事でいえば、どんなところに、取引先のつてがあるか
なんてことは、教えてもらうことではないですね
自分は、どう仕事していくのか
人とどう、相対して、自分というものを理解して
もらうか?
つまりは、どう生きるのか


おそらくは、河井も、リーチも
教えるというより、見守るということを
したのだと、感じるのです


よく思い出すのは、自分にとって古巣の銀行の上司が
自分に断らなくていいので、自分の紹介だといって
関連会社にいってみたらどうだと、言ってくれたこと
これ、いま思い出すと、破格の好意といっていいでしょう
だけど、そういうことは、前はありました


自分は、いろんな人に育てられたのだなと
振り返ると、思うのです
だから、やっぱりその受けた恩をその人に
返せないのであれば、ビジネスで自分の後に走ってる
誰かにバトンを渡すこと、つまりは、できるかぎりは
後押しのような、ことはしたいと、感じるのです


いま、社員と相対していて
伝わらないことが、あるなと、思ったりします
それはなぜか?
仕事するのは大変です。仕事するなかで、大事なことに
気づいてほしいという、漠然とした願いがあります
そして、社員にあって、あ、こういう仕事のしかた
仕事とまだいえない、作業の進め方だとすると
大事な気づきには、結び付かないな
はたして、はたして・・・


今日のブログは、いろんな話にちってしまいました
つまり・・・伝える、気づくことが大事だと
そう思える、なにかを、続けていきたい。
そう思います