うつわの話

河井寛次郎が、柳宗悦と出会ったという
ところの、エピソードがとても好きです


関東大震災のあと、京都に一時住んだ、柳を
寛次郎は訪問します
そのときの、部屋にはいって、みた、李朝白磁の香炉
そして、木喰仏。これをみてうなったという寛次郎。
自分のいいと思ってるものに、「うなる」ほどそのよさを
みとめ、感動してる姿に、柳も打たれると書いています

(炉辺歓語 河井寛次郎


丹波に柴田雅章さんという陶芸家がいて、一度たずねていき
その人柄、作品がよくて、たいへん興味と、あこがれを
もちました
その柴田さんが、東京で息子さんとの、展覧会をやったとき
お聞きした話があります
柴田さんのおじさんにあたる方が、横浜鶴見に住んでおられ
ときどき、10代のころ、お邪魔して遊んでいたとのこと
そのおじさんが、柳をはじめ、「民藝」の人の著作を
もっていて、その著作を読むことで、陶芸を志すことに
なったとのこと


民藝の人の足跡は、こうして、日本のうつわの文化に
つながってるんだと、思ったのです


民藝の人のゆかりの地は、日本にいくつかあるのですが
実際たずねてみたことのある、場所でいえば、河井寛次郎
故郷でもある、島根県は、印象が深いです


原田マハの、「リーチ先生」の記述によれば
バーナード・リーチは、教えるというより、見守る
ということを、やっていたということが描かれています


それは、「こうしなさい」だとか、「自分のものが手本だ」
とかそういうことは、しないというのですね
「あなたの、作りたいものを、作るのです」ということです
こうして、私の拙い、文字にしてしまうと、まるで
つきはなしてるようにも、見えるかもしれません
ですが、あなたの、個性をだすのだという、その点の
教えの、「高さ」「本来めざすべきもの」ということを
一切、妥協しないで、見ていく姿に、心がひかれます


これは、まさに陶芸ということだけでなく、「生き方」
ということに通じる、大きな、基本だと、思うのです


そのバーナード・リーチが愛して、何度も行ったという
場所は、宍道湖がある、本当に美しい風景をもつ
場所でした


民藝に近い人もそうですし、なにも陶芸に限ったことでは
ないのですが、「妥協のない、生き方」を感じる人に
出会えることは、素晴らしいことです
そして、そのいいうつわを使い、食事ができるってことは
自分の美意識をはじめ、感性を育むのに、とても豊かな
栄養なのだと、思います


日本に生まれてよかった
そう思いながら、今日も、うつわを愛でて、そのうつわを
作った人を、思い、感謝と高い心への感動、自分を奮い立たせる
エネルギーをもらい、うれしくなるのです