先代社長は息子がほしかった

私は、父と別の価値観をもった、大人と
話したかった


つまり、は、やっぱり父親さがしなんですね
自分の価値観を持ちたい。父親は「べき論」で言う
そうじゃない、価値観をもった人と話したい
言い換えれば、べき論を言う、そういう面じゃない
父親と話したい


私の父は、べき論を言いながら、ときに別の顔を
みせるなんて、器用な人ではなかったですから
そういう意味で、自分を肯定してくれる人が
ほしかった


人間は誰しも、承認要求をもっています
一定のところ、元気で、一生懸命やる人なら、なおさら
そうです。承認してもらって、それからなんぼ、でしょう


うつわ、の世界、陶芸の世界で民芸運動というのがあって
その指導者の、河井寛治郎、バーナード・リーチと実際
指導をしてもらった、若い人とは、親子ほどの年齢差が
あったと言います。このあたりから、実際、親子の
年齢差は、ものごとを伝えるのに、いいのではないかって
気が付きました


自分がまっただなか、先代社長とふたりで、会社を作っていこうと
いろいろしたときは、先代社長と、自分の間に年齢をうめてくれる
人がいないのは、不幸だななんて、思っていたのですが
そうではないんですね


原田マハの描く、バーナード・リーチの姿は、具体的な指示は
しなくて、あなたの、好きなように作ってくださいという態度で
通した、と、でてきます
陶芸もそうだし、絵、であり、彫刻もそうだと思うのですが
人のまねから入ってもいいけど、あくまでも、自分の感性をもって
進まなければ、決して到達できない、境地というのがあって
そこを、目指すんですよ、と教えてるんだと思うのです


拡大解釈をすれば、「生き方」もそうだと言えると
思うのです。こういうふうに生きる、それは誰にも教えられない
自分で考え、自分で積み上げ、ときにそれをこわし
自分で、道を作っていく、それが生きるということに
なるんじゃないでしょうか


だから、もしかしたら、同じようにプレイヤーだったりしたら
自分のやり方をやってください、となってしまうのでは
ないでしょうか?
一歩、引いて、指導者として、どうするのが適当か、熟慮できる
余裕と立場がある人が、一枚加わってこそ、うまくいく
そういうことがあるように思えてきました