成長ということ

2年ほどまえ、京都「楽焼」の名品が並ぶ
展覧会を見ました。解説をしていた、当代当主の
語りに、「何も教えない」ということがあります
とでてきて、はっとなりました


バーナード・リーチという、英国人で日本が好き
柳宗悦、河井寛治郎、濱田庄司と、民藝運動
主導したという、陶芸家がいます
原田マハは、リーチをいきいきと、蘇らせて見せます
よく、若手を指導していたというリーチ。
「あなたが、思うとおり、作ってみてください
私も作ります」原田の解釈?では、リーチは
「こうやりなさい」という指導はしていないと、描きます


人がなにか、「道」といっていいことを、やるとき
ある部分は教えることができるかもしれないですが
一定以上の、成長は、教えてどうなるということは、ないのだと
最近、思うのです
精神状態、知識、それまでの、思いを形成する、経験値
それは、本人にしかわからない。いいえ本人だって
わからないかもしれないです


経験が少し多いからといって、先輩にあたる人が
なにかを教える。それは入り口について、僕はこうやったよは
言えても、あなたがこうやるのがいい、というのは
見えないことのほうが多いのではないでしょうか?
だから、アドバイスくらいしかできない


人間が育つということは、どういうことか
知識がついて、人がやってることを、できるようになる
そういうことも、相当な努力は必要で、まずそうした
先駆者がやったことを、できるようになるということも
大事なことでしょう
そうなのですが、自分が表現したいもの。自分が目指して
自分だけが、獲得しうる境地に達するなにかを
するということは、、どうしたらできるのか


それは、生きるということを通じて、迫っていく
まさに生き方と不可分な道をたどるしかないと、言えるのでは
ないでしょうか


人の成長になにかしら、いいことをしたいと
常に思っています
そうしたとき、たとえば、テニスでコーチで指導してもらう
なんてことは、全くもって、素晴らしい時間です
自分が指導してみたいなら、指導されてみる
河合隼雄先生が、カウンセラーになりたいなら、まず
自分がカウンセリングを受けてみなさいと、書いています


コーチはいいます
今日、話したこと、別のコーチにしたら、別のことを
指導されることもあります
どれも、「ヒント」なんですねと
そう、ヒントを出し続けるのが、指導とも言えます
教える、受け取るということが、うまくできると
いい空気が流れると思っています
さて、今日から仕事。そんな空気が流れるような
仕事、職場をめざして、行きたいですね