父を思う

父親というのは、生き方を教えてる
そういう話を、聞いたのは、いつだったでしょうか


10代のある日、自分の父親くらいの
年齢の人が、お父様を亡くし
父親の存在は大きいのだよとつぶやいていたのを
思い出します


どう生きるのかというのは
ほんとに、大きな命題で、ずっと人間だれしも
そのことを、考え続けますね


振り返ってみると、父には反発もし、否定したり
しながら、なにかしら、というのか
認めてしまえば、大きくその生き方というのは
影響を受けているといっていいと思います


山陰の、うつわの窯元を訪ねたとき
ふっと、思ったことがあります
出西窯という、民藝のなかでは、とても名前のある
窯元の話です。河井寛治郎であり、バーナード・リーチ
訪ねて、教えた足跡というのが、いまもある
窯元です


親くらいの世代の人が、なにかを教えるって
どういう雰囲気なんだろう?
ぐるぐる、頭で考えました


出西窯の、イメージは
実際、親くらいの世代の河井寛治郎、バーナード・リーチ
おそらくは、手も使うでしょうが、基本見守り
その相手が、やりたいことを、させる、ということを
メインに、したのではないでしょうか?


人を指導するということは、実は、そんなに簡単では
ありません
素直な人なら、みようみまねで、なにかするのだと
思います
そのとき、見守る指導者は、大事なひとこととかは
つぶやくでしょうが、決して、自分のいうとおりやれ、とは
いわないと、感じるのです


親と子ほど、年齢が離れていない、指導者が
教えたりした、場合、どちらかといえば
自分のやってることを、そのまま、まずできるように
なろう、が指導の方針だと、感じます


このことは、二通りの意味があります
つまり、世代が近い人のもってる、なにかしらは
やっぱり、その場、そのとき、必要なことを
教えてもらえる、という機会になるだとうという
想像です


決して、年齢が近いから、指導が下手だというつもりは
ないです。ただ、自分のことを、どこかに置いて
見守るという1点については、おそらくは親子ほど離れているから
見えてるものもあると、感じます



想像するなら、若いとき、自分が、もっていたこだわり
そのこだわりを、持ち続けた、そういう時間が果たして
その後の自分にどういう、影響を与えたのか


もちろん、いいこともあり、悪いこともあると
思い、そうだから、たとえば、教ええるその人が
なんかしらの、思いをもったら?
大事にすることを、進めるのだと思うのです


父は、まっすぐな人でした
だから、強かったということを、思います


自分も、ものごとを受け止めるときに
そういうまっすぐなところを、好むことは多いのです
いま、思うとそれはそれで、いいのだと
思えますね