当社、創業者、増地徳則氏と、私はちょうど、親子ほど
歳が離れていました
いっしょに、仕事したときは、親子ほど、歳が離れてるというのは
いわば、離れすぎ。これは、デメリットだろうと
どちらかというと、考えていました
けれこ、いま振り返ってみると、なにかを伝える
教えるというのは、実は親子くらい離れていたほうが
いいことも多いのでは?と、感じるのです
最近読んだ小説、原田マハの「リーチ先生」
この本の場面に、バーナード・リーチが、若い陶工を
教えたということが、あります
実際、島根県の出西釜には、教えた、足跡といっていいことが
あります。河井寛治郎も教えています
その教えたというとき、親子ほど、やっぱり年齢の差が
あったということに、気が付きました
原田は、親子ほど離れてるからこそ、見えてるものということで
場面にだします
決して、バーナード・リーチは、自分がやるようにやれ、というのは
言わない。自分のよさ、自分のやり方をやりなさいという指導だった
というのですね
ここで、思うに、伝えること、指導とは、どういうことが
あるべき姿なのか>ということを思います
つきつめて言ってしまえば、その人の人生は
その人しか、生きられないものです
だから、その人生の生き方を、教えるなんてことは
とっても、難しい
けれど、どう生きたらいいか、迷う人を、目の前にして
何もしないということも、どうなのか?
つまりは、自分と向き合うように、後押しをする
ということになるのでは、ないでしょうか?
技術者になるということは、かなり大変なことです
一心不乱に、努力をする、そういう時間がどうしても
必要です
その努力ができる人、それは尊重されるべきですが
そうだからといって、自分をいつも謙虚にみてなければ
足元、ぐらつきます
路をふみはずすといっていいでしょう
見守る、後押しする
それが、やっぱりかなり、重要とも思うのです