リーチ先生

リーチ先生 原田マハ


この本を読んで、思うのは、読んだ後
バーナード・リーチという人がとても好きになった
ということですね


比較のために、言いますと
司馬遼太郎の竜馬がいく、を読むと
相当な割合の人が、竜馬が好きになると
思うのです


そういう意味では、原田マハの、人物描写の巧みさ
また、対象をなんという言い方がいいでしょう
まず、おそらくは自分で好きになって
その好きになるような、要素を、小説のなかで
読者に伝える、そういう力が、文章にある
その点で、司馬遼太郎に近いものがあると言っていいかなとも
思うのです


現時点で、私は司馬遼太郎については、ファンであり
いろんな本を読むときの基準みたいに思っているので
こういう書き方になります


比較するのはちょっと、乱暴かもしれませんが


リーチ先生の、ストーリィは
まさに、自分の視界のなかに、そう話しかけられるように
でてくる、と感じるのです
柳宗悦が、高村光太郎が、濱田庄司が自分に語りかけてくれて
自分もその場でこう考えたいなんて、思う気持ちが
むっくりをでます


同じ意味で
坂本竜馬が、桂小五郎と、松平春嶽と、勝海舟
おりょうと、いきいきと、応援したくなるような
振る舞いをどんどんしていくような、ストーリィ


こうした、ストーリィテラーとしての、才能は
原田マハはどうして、磨いたのでしょう
おそらくは、楽園のキャンバスより、リーチ先生のほうが
一段階、磨きがかかってるといっていいと思うのです


バーナード・リーチが、日本人より日本人らしく
生きる、その姿は、日本人の自分に、日本のよさ
アートとは、なにか、あの時代とはどんなだったかを
どんどん、考えさせます


はたして、本当に若いときの、リーチが、柳宗悦
日本のそのときの、アーtを志す人のあるべき姿といったことを
話したのか、わからないですが
おそらくは、くりかえし、アート論をやったのは
確かのようです


原田マハが、登場させた、リーチ先生は、きっと私のなかに
ずっと残っていくように思います
まさに、ときに坂本竜馬が、ときどき、私のなかで
活躍するように、リーチ先生が、登場するのです


陶芸を通して、なにかを学んでいくということに
接したときに、リーチ先生はこんなふうに、感じるのではと
勝手に想像し続けるのでしょう
それは楽しい、たいへん、うれしい、ことでもあります


私のリーチ先生
ずっと、あってほしいな