学び

原田マハ 「リーチ先生」から
民藝運動という、日本の陶芸だったり、染色、その他
ものづくりに根差した、いろんなことに大きな影響の
あった、活動を中心に、昭和の前半、日本に滞在、活動した
芸術家がいて、その姿を小説にしたものです


バーナード・リーチは、教えるというとき
決して、「こうしなさい」ということは言ってないと
小説では描かれます
「ぼくはこんなふうにやってる、あなたはあなたの思うように
やってみてください」


あくまでも、謙虚。高圧的な態度なんてない
それで、リーチ先生を慕っている人がいる


学びあうというところは、そこに、主眼があるといっていいのです
学ぶというのは、誰かに屈服するとかそういうこととは
真逆の位置にある、精神活動といっていいと感じるのです
自分が学びたい、学び取ろうとする、そういう積極的かつ
意欲的な、ものです
ゆえに、誰かが、こうしなさい、は、よからぬ?感じです


ところが、一方、学びというのは、日常生活から
「ミテネ」「ヤルヨ」「ホラネ」などと、こちらが
やったとおりやりなさい的な要素がはいっていると、考える
人もいるようです。極めて初歩的なものは、確かにそうでしょとも
言えます


上のリーチ先生の振る舞いは、見聞きしたこともあるでしょうが
想像して、フィクションとして、原田マハが描き出す、シーンな
わけですが、ひとつの、文化継承の理想ともいえるし、それが
伝統を伝える、典型的なシーンだとも、いえると思うのです


1年前だったと思います。東京の美術館で、「楽焼」の名品展が
ありました。そして、いまの当主の解説で「ああ、なるほど」と思った
ことがありました。伝統を受け継ぐと言いますが、私は父からは
なにも具体的なことを、教えてもらってないのですと言いました
これは父も、代々、の当主もそうだと思いますとのこと
作りに関すること、まして、釉薬はこれこれといった書付なんて
類はないのですと。


自分が確か中学生くらいだったでしょうか
あるとき、父が話のなかで、刀剣の目利きとしての、人の育て方
といったこと(誰かに聞いたのでしょうね)をしてくれました
子どもに、後継者となるときに、まず、いい刀をみることだと
3年はみることから、始めなさい・・・と
観ること、本当にいいものを見ていくと、その良さがわかるように
なるのだと、いいます


観ること。
決して、こうやると言わないこと
なにも教えないこと


一貫して、自主性を重んじるといっていい、態度ですね
結局、芸術つまり、生き方そのものがでるといった、コアな
ところについては、教えて、教えられるものとは思えないのです
コアなところ以外のことは、教えることもできるかも
しれないですが、どうかすると、思い込みとか、こだわりみたいな
余計なものもいっしょになるのでしょう


学ぶということは、やっぱり、根源的に生きるということを
意識しなければ、つながっていかない、そういっていいのでは
ないでしょうか